アナウンサーブログ

市脇 康平

市脇 康平Kohei Ichiwaki

詳しいプロフィール

プロフィール

生年月日
1975年6月24日
出身地
愛知県豊田市出身
入社年月日
2000年10月入社

担当番組

「ちかくナルナル なるちか!」(土 午後5:00~)
「らぶちゅちゅ」(木 深夜0:20~)
「交通安全ココワンTube♪」(木 午後6:55~)
「高校野球実況」ほか

誕生日を過ぎてからというもの2006年6月28日

「31回目の誕生日が1、2を争うほど良かった」な~んて言っていたら体調が急変!
昨日の午後からは、くしゃみや咳、のどの痛みがひどくなってしまいました。

勤務後は速やかに帰宅して、すぐに布団に入ったものの、何度も目が覚める始末。
体を起こしてW杯を見ようとするのですが、咳やのどの痛みが引かず…。
そこで、今朝9時からの開院と同時に病院の扉を叩き、診察してもらいました。

「あ、カゼですね」

最近は夏カゼが流行っているとは言いますが、こんな流行には乗りたくないものです(涙)

自分史上1、2を争うほどの嬉しい誕生日2006年6月25日

6月24日で、いよいよ?とうとう?満31歳を迎えました。早いものです。

この日は愛媛FCが徳島・鳴門で四国ダービーをすることが決まっていたので、
私は会社の休日を使って、サポーターのバスツアーに参加することにしました。

往路では弁当をつまみながら応援練習をしがてら過去の試合VTRを見ながらスタジアムに到着。
すると鳴門のスタジアムには「ヴォルティス劇場」との大見出しの横断幕があるのを見つけました。

いやいや、もちろん主役はオレンジ軍団でしょ!って心の中で思いながら、
アウェーサポーター席の入口を通過して、ゴール裏のスタンドへ足を運びました。

もうこの時の気持ちといったら、ドキドキワクワク…って感じがいつもの数倍に膨れ上がると同時に、
恥ずかしながらゴール裏での応援が初めてのため「負けると縁起が悪い」と不安に駆られつつ、
自分の誕生日でもあったわけですから、まさに<絶対に負けられない戦い>でありました。

しかし、キックオフすると間もなく、前回の四国ダービー立役者・森脇のゴールが決まり、
前節からキレキレのプレーを見せていた菅沼が<お待たせ>今季初ゴールで2得点!
スタンドの盛り上がりも、開始わずか10分で最高潮に達しました。ホント凄かったんですから!

後半終了までの数分間、セットプレーなどでヒヤリとする場面もありましたが、
Jリーグ出場2試合目となった川本が最後まで徳島にゴールを許さず、2対0の完封勝利!

「四国代表はこっちのもんだ~」

メチャクチャ嬉しかったですね。鳴門の渦潮を飲み込んでしまった愛媛の勢い。
実は15歳の時にベンチャーズのライブを見たことがこれまでで強烈な印象を残しているんですが、
今回は自分史上で1、2を争うほどの嬉しい誕生日を迎えることができた…そう思っています。

その後は松山に戻り、市内で祝杯を挙げて、ほろ酔い気分で就寝しました。

31回目の誕生日は、それはそれはこれまでにないほどのインパクトの残るものとなりました。
選手やスタッフ、同じバスで徳島に駆けつけたサポーターのみなさんには感謝、感謝ですっ!

交流戦を抜けて2006年6月23日

プロ野球は交流戦を経て、きょうリーグ戦が再開しました。
我がドラゴンズはジャイアンツに先制されるものの、4-2の快勝でセリーグ首位を守りました。

この日は福留選手の同点タイムリー、貴重な追加点となるソロホームランを放ったほか、
徳島商業出身・川上投手が8回被安打3の快投で、ジャイアンツ戦通算20勝をマーク!

私とは2日違いの同い年、昨日訪れた31回目のバースディを川上投手が自ら祝うだけでなく、
我が母校の偉大なる先輩・岩瀬投手がきっちり最終回を無失点に抑えて華を添えてくれました。

あぁ去年は交流戦で失速したドラゴンズですが、今年は5割以上の勝率で切り抜けて、
リーグ再開戦でジャイアンツを相手に、非常にいいリスタートを切りました!

よしっ!この勢いで「い~竜(い~どら)」なんて番組できないかな(笑)。

日本のチャレンジが終わる2006年6月23日

日本対ブラジルは1対4の完敗、予選リーグ敗退が決まりました。
2006FIFAワールドカップ・ドイツ大会の戦いが、他の15チームと共に終わりました。

監督人事をはじめ、いろいろ批判が集まるとは思いますが、選手やスタッフは戦い抜きました。

玉田はJリーグでの不調を振り払う1ゴール、王者ブラジルから得点を奪ったし、
土肥も出番はなくても、守護神・川口のフォローを必死にやっているのは映像にもありましたし、
高原や柳沢も自分の理想とチームの現実のギャップに悩まされながらもゴールを目指したし、
日韓大会で代表選出されなかった中村は4年越しのゴールを挙げたし、
中田は選手たちを鼓舞するべく、どんどん前に出てチームをリードしてきたわけだし…。

ワールドカップに出られないヨーロッパの強豪もいた中で、日本が再び晴れ舞台に立てた。
辛い予選リーグ敗退となりましたが、きっとこれも日本サッカー界の財産となるでしょう。

負けて、失敗して、覚えることはたくさんあるはず。
4年後とはいわなくても、さらにその先を見据えた日本らしいサッカーを目指してほしいと思います。

…にしても眠いですね(笑)。

辛うじて望みをつなげる2006年6月19日

日本対クロアチア、0対0のスコアレス・ドロー。
宮本主将が緊張しすぎたとか、代表チームを鼓舞する中田はWBCのイチローのようだとか、
さまざまな見方がありますが、またしても痛すぎる試合運びをしてしまいました。

「勝てる試合をまた落としてしまった、もう同じことを繰り返せない」とは中田英寿選手の弁。

前回大会のメンバーや海外組を中心に組んだメンバーが結果を残せないのはいただけない。
それをよく知っているから、中田は試合後、強い口調でインタビューに答えていたように感じます。

日本はがけっぷちであることには間違いなく、足の指先で感覚を保っているような状態です。

日本が勝つためには…まずはブラジルに2点差以上で勝つ。
オーストラリアとクロアチアが引き分ける、オーストラリアにクロアチアが2点差以上で勝たない…。

何だか考えているだけで「ここで1番に赤が飛び込めば、2番の黄が赤に変わる、
黄のカードが減ったら、緑が今度はトップに立つ…」といったような、アタック25のようです…。

追伸:試合当日夜、市脇の拙いデジカメ取材にご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。
この場を借りてお礼申し上げます…。

ロングホーンだ、ウィーッ!2006年6月14日

大澤先輩も書かれていましたが、日米親善高校野球大会(正しくは前日の懇親会)で、
あの不沈艦「スタン・ハンセン」氏が松山を訪れていたのに、私も遭遇しました!

「あれ、そこ、隣のあの人。スタン・ハンセンだから…」

弊社スタッフに教えてもらいつつ、指差された方角を探しても、でっかい背中の男しか見えない…。
見えない…、じゃなくて…、えっ…、あの背中って…、ひょっとして…、ハンセン?

このコンマ何秒の世界で脳裏をよぎったのは、1981年の世界最強タッグリーグ戦のことです。

キングコング・ニードロップなどでおなじみのブルーザー・ブロディーがジミー・スヌーカと組み、
当時のアイドル、ドリー・ファンクJr.とテリー・ファンクの兄弟タッグ「ザ・ファンクス」と戦った試合。

「あ、ハンセンですよ!ハンセン!」

放送席のゲストが、画面に映し出された大男を見たときのコメントがかなりの興奮状態でした。
それもそのはず、全日本プロレスで活躍する以前の話。
何の前触れもなしに、セコンドという立場を利用して「乱入」したのですから。

カウボーイハットをかぶり、静かに歩を進めていたはずの不沈艦は案の定、
場外で豪腕・ラリアートを弟のテリー・ファンクに繰り出して、
リング上で孤立した兄のドリー・ファンクJr.がフォールされてしまうという顛末でした。

当時「ブレーキの壊れたダンプカー」と称された男の伝説は、数え切れません。

その後、ジャイアント馬場氏を介して、全日本プロレスに上って活躍しますが、
(テリー・ファンクがインディー系のマットでダーティーなファイトをしたことを考えると)
晩年のハンセンは「ファミリー」的な存在で、ロングホーンもアットホームな雰囲気だったかなと。

あれから数年が経ち、まさかハンセンに逢えるとは…。
息子さんはすっかり高校球児としてアメリカで活躍されているということもあり、
ホントにいい親父になっていました。将来はメジャー選手の父親になるかもしれませんね。

ちなみに、ハンセンと握手するまではかなりの動揺ぶりで、かなり腰も引けてました(涙)。

ぬか喜びだったけど2006年6月13日

サッカーW杯ドイツ大会、大事な日本の初戦。
4年前、辛酸をなめた中村俊輔のゴールで先制するものの、後半終了間際の3失点。

今後様々な検証が行われるだろうから、きょうはきょうで置いていこう。
勝っても負けても、クロアチア戦・ブラジル戦に向けてやるしかないのだから。

決勝トーナメント進出は難しくなっているが、あきらめてはいないだろうか。

気持ちが萎えそうな時、いつもプロレスラー・アントニオ猪木の言動を思い出す。
試合前に「もしも負けたら…」の問いにぶち切れて、インタビュアーをなぐってしまったことを。

確かに暴力はいけないが、「勝負する奴が負けること考えるか!」の答えには納得がいく。
サッカーはいろんなことを想定して試合をするが、負けた後のことなんて、それから考えればいい。

「次に向けて気持ちを切り替えるだけです」
試合直後、少し放心状態の宮本主将が声を振り絞るようにして吐いた言葉。
傍観者でさえ辛いのだから、当事者であればなおさらだろう。

刻一刻と、次のクロアチア戦が迫っている。とにかくメンタルで負けないこと。
メンタルで負けていては、その時点で勝負は決まっているのだから。

7360人という観客2006年6月11日

6月4日(日曜日)東海リーグ1部、FC岐阜対マルヤス工業。観客は何と7360人。

元日本代表で名古屋グランパスでも活躍した森山泰行らがプレーする「地域リーグ」チーム。
こちらでいう「四国リーグ」にあたるチームがJリーグに向けて奮闘しています。

戸塚哲也監督をはじめ、ちょっとサッカーをかじったことのある人なら知っている名前も多い。
今季からは東海リーグ2部から1部に昇格。元ガンバ大阪の小島宏美が加入した他、
伊藤哲也、平岡直起、吉田康弘など、元Jリーガーを数人抱えて活動しています。

岐阜には西濃運輸サッカー部という実績のある社会人チームがありましたが、97年に解散。
当時所属していたアマチュア最高峰リーグ・JFLからも撤退という事態に陥りました。

地域リーグにもチームがない、非常に厳しい状況に置かれたのを憂慮して、
県サッカー協会などが後押しして、チームを立ち上げたというのが「FC岐阜」ということです。

岐阜県というのは大産業地帯を抱える愛知県に隣接しているほか、
名神高速道路や新幹線もある発達した土地かと思われますが、最近明るい話が少ないのも事実。

美川憲一が歌っていた曲のタイトルにもあった柳ヶ瀬商店街は当時の活気を失ったほか、
若者が集まっていた大規模店舗の撤退、採算に合わない市内電車の廃止などなど。

ただ、かつて繊維産業で栄えたことや昔からスポーツが盛んなことから、
岐阜の持つポテンシャルはかなりのもので、地元メディアも少しずつ注目しているようです。

そんな中で記録した観客動員が7360人。1万人目標でしたが、この数字は素直に驚きですね。
隣の愛知県にあるお金持ちのJ1クラブに負けない「おらがチーム」はちょっと気になる存在です。

わかってはいるんだけど…2006年6月11日

昨日、県陸上競技場でJ2第21節、愛媛FC対モンテディオ山形を取材しました。
前回アウェーで対決した時には、2対1とリードしておきながら、ロスタイムに追いつかれる悲劇。
今回はホームでリベンジをする時がやってきた!と思ったのですが。

前半はセットプレーや逆サイドのスペースを突く動きなど「考えながらやっているな」と思わせる
プレーが随所にあって「そうだそうだ」「次はそれでいってみよう」と口ずさみながら見ていました。

「意図的に仕掛けられるようになってきました」とは望月監督の弁。

精度はともかく「意図」を明確にした動きができているのは、素人の目からも分かりました。
ただ、その意図もムラがあるのが事実。選手によって、そのタイミングも…。

日本代表の高原選手がドイツでプレーした4年間を振り返り、こんな発言をしていました。
「俺がプレスを掛けようとしているのに、ちょっとでも動かない奴はすぐに分かりますよ」

先日の地元紙でも掲載されていましたが、FWからの詰めが甘ければ、DFで痛い目に遭うと。
それを海外で経験した高原選手は、今度は代表という立場で自分の役割を果たそうとしています。

かえって愛媛はどうでしょうか。

前回のホームに限らず、このところプレスをかけようとするのですが、
選手の中には、その場でステップを踏んでいるだけのような姿があります。
つまり、プレスしようにも、以前のようにプレスが効かなくなってきているようです。

前線からのプレスは、自陣にすぐ攻め込んでくる相手に対しては掛けやすいのだけれど、
第2クールに入ってからは研究も進み、
愛媛のカウンターを念頭に、相手が引いた状態でボールキープするようになってきました。

この状態に対抗しうる術、もちろん指揮官も選手たちも知っているのですが、
Jリーグチームとしての成熟度が足りないため、実行できていないのが実情のようです。

プロレスの世界では100回の練習より1回の試合といいますが、
実践で培ったノウハウが、時には苦しみが、後々の財産になると思って、
Jリーグ1年目のチームを(気を長くして)見守ってほしいなと思うのであります。

きっとJ先輩チームも、少なくとも大小様々な苦しみを乗り越えてきたはずですからね…。

大ショック…2006年6月 8日

昨夜の愛媛FCパブリックビューイング、盛り上がったようですね。
試合も後半3得点の快勝、3対1で湘南を下し、アウェー2勝目を奪いました。

「よかったねぇ」

PV取材から帰社したカメラマンや記者は、口々に私に声をかけてくれました。
確かに良かったのですが、私は後半すら見に行くことができず、正直落ち込んでいました。

「た、たしかに…よ、よかったですねぇ…」

インパクトのある勝ち方だっただけに、見られなかった衝撃も倍増。
少々、顔もこわばっていたような気がします。

あっ、最後にここだけの話を1つ。
秋に販売されるゲームソフトに、どうやらJリーグ31番目のチームがいよいよ出るみたいですよ!
(これだけが昨日の私の救いだったりして…)

同期も30代に突入…2006年6月 7日

父親や母親の実家へ行き、仏様の前で手をあわせてホッとした翌日。
社会人デビュー同期組(1998年)が、およそ1年半ぶりの再会を果たしました。

名古屋にいる仲間が忙しい中、準備をして当日を迎えたわけですが、
その企画が素晴らしいこともさることながら、とにかくうるさいのなんのって。

喋り手としての本能むき出しというか、素のままというか…。
悪い意味じゃなくて、とてもにぎやかで楽しいひと時を過ごすことができました。

学生時代と変わらぬパワー、エネルギーで、私も押し込まれる場面が多々ありました。
あまりにもあっという間に時間が過ぎて、気がついたら全員30代に突入してました(笑)。

普段はなかなか会えない大切な仲間ですが、再び会える日を楽しみに今日も精進しなくては。

休養&充電2006年6月 6日

FCホーム戦の翌日から、学生時代の同期会をするため、地元に帰っていました。
そのついでにということで、親戚への挨拶をするため、少しだけ足を伸ばしてきました。

飛行機と電車などを乗り継いで、半日以上かけてたどり着いたのは父親の実家。
これまでは車で行くことが多かったのですが、今回は公共交通機関のみ。

「これって神社前のバス停に止まりますかねぇ」とバスの運転手に尋ねると、
「あぁ、村だったところの神社前でしょ、止まりますよ」と返されました。

市町村合併で村が消滅したために先述の表現になったようです。
村は消滅したけど、バス路線は残っていたので、タクシーで高いお金を払わずに済みました。

最寄の駅からバスに乗るなんてのは、実に20年ぶりでした。
小さいバスでした。昔は随分と大きく感じたはずなのになぁって思いましたが。

そんなバスに揺られていくと、否応なしに時代の変化を改めて感じました。
立ち寄る停留所の1つは立派な病院の前だったし、
架け替えによって、川を渡るための橋も大きく様変わりしていました。

停留所から家までは歩いていくんですが、その道を歩くのも久しぶり。
普段は車だったから、田んぼに入る水の音や風に揺れる苗を見ながら…なんていうのも久々。

家に入れてもらい、仏壇の前で線香をあげて、手をあわせて…。
年末年始や彼岸にできない分、こうしているだけでなんとなくホッとしました。

行く月、来る月2006年6月 1日

気がつけば、皐月から水無月へ。

5月はゴールデンウィークがありました。先日は横浜へアウェー戦も見に行きました。

そして、きょうから6月。衣替えや鮎釣りの解禁…夏へのシフトが加速しそうです。

そういうわけで、行く月、来る月でした。

合掌。

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坂口 愛美

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吉井 万結

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