番組審議会

第61回 放送番組審議会議事録

1. 開催日時:平成13年3月26日(月) 午後3時
2. 課題番組:「そんなに私が悪いのか!?」
          毎週月曜日 19時00分~19時54分放送(54分)放送
3. 記事の概要:
・非常にタイムリーな話題、また、興味のある話題を取り上げ、それらに対して、ディベート風の手法をとっていて、とても面白い。「国民総評論家」の時代にマッチしている。また、ゲストもバラエティに富んでいて、色々な視点での議論が楽しみだが、たまに中途半端な形で終ってしまうのも、プロデューサーの意図するところなのか。

テレビは娯楽、面白ければよいのだとして、今回の番組は、"政治の不様をツマに漫談仕立て、働かない暮らしのススメ"あたりか。
悪いことは悪いということが簡明に通らない風潮があって、これに悪乗りとは言わないまでも先乗りされてみると、何を言ってみても何が悪いのかと返されそうで、何をか言わんということになりそうだ。人の物を盗むことが悪いことか?悪いに決まっているのだが、そのうち万引きは現に罰せられることはまずない。人を殺すことは悪いことか?悪いに決まっているのだが、後を絶たない。それだけでなく、やった子供からそう問われて、社会(知識人といわれるマスコミ、大人)が、狼狽えたのはつい最近のことである。
番組の語り口が、働く義務の否定(拒否)、勤勉の虚仮(こけ)視(働くも働かないも個人の自由、しかし、「しかし」というか「だから」というか、働かなくても平等に生きる権利はあるという物語)にあるとの感は否めず、(娯楽という以外に)ススメてまではいませんという三百代言的弁明はあるとしても、番組の賑々しさを眼前に視聴している方は、気持ちが萎え、やがて、凍える心地もしてくる。

・「ダメ連」については、今時はああいう生き方もあるのかと思いつつも、あまり肯定的な取り上げ方は如何なものかと思う。こういう話題の取扱には細心の注意が必要だ。また、立川談志さんの話し方がすこし乱雑で言葉の乱れや青少年への影響が心配される。
一つ考えたのは、「ダメ連」の人たちは、それなりの目標を持っていること、また、いろいろとそれなりに読書などをしているようで、あれだけの物言いができるということは、かなり高学歴の人ではないかと思った。

・私は「働かざる者、食うべからず」という信念を持っており、「ダメ連」は批判力のない子供に見せたくないと思った。いろいろ正当化しようとしていたが、母親が毎日、机の上に置いてくれる千円札をあてにしている、というのでは言い訳にならない。たとえば「専業主婦だって夫の稼ぎに依存しているではないか」という意見もあるかも知れないが、専業主婦は家事、育児など家族の生計の維持のため働いている。「ダメ連」の人たちの発言を聞いていたら腹が立ってきて「こんな男性には彼女はいないだろうな(笑)」と哀れになった。
ゲストの人が発言すると、観客の人たちの反応によってゲストの椅子が上がったり、下がったりするが、上がるところは画面に出るのに、下がるところが出ないところをみると、ゲストは観客の反応を気にしているのではないか、何か「受け」を狙っているのではないかという気もした。
「体脂肪」の話題では、畑山さんや秋野さんのように、いわば仕事が懸かっているプロが、栄養学など専門的な根拠に基づいて体重を管理していることを紹介していて、畑山さんが「正しいダイエットのあり方について、学校の保健体育の時間などで教えるべきである」という発言をしていたが、これは傾聴すべき貴重な指摘だと思う。
「国会のヤジ」の問題の取扱い方については、一方的に放送して「終り」というのではなく、後のフォローをしているのは良い姿勢だ。
番組の進行面では、古館さんの話すテンポが速すぎて、比喩の仕方もバラエティに富んでいるので、視聴者としてはかなり集中して見るようにしないと理解がついていかない。この時間帯には食事をしている人も多いと思うが、食事をしながら見るのは、すこし苦しい。

・「森首相」については、「朝日系列」らしさのようなものが、よく出ていたと思う。
「ダメ連」については、このテーマだけで約一時間議論するのは、すこしくどい感じを受けた。
また、スタジオのセットが何かごちゃごちゃしていて、すっきりしない。椅子の上がり下がりについても説明不足だ。昨年の10月から続いている番組だそうだが、いつまで続けられるのか。あまり、続かないような気がする。食事時の番組としては如何なものか。

・「ダメ連」について、一般論としては人には人それぞれの生き方があり、またそれぞれの生き方があっていい。「ダメ連」の人たちには、彼らなりの理屈なり、言い分なりがある。しかし、番組の中で古館さんも言っていた通り、自分の身内にああいう生き方をしている人がいたら嫌だなと思うし、真剣に諭して止めさせると思う。けれども、例えば隣の人の身内にそういう人がいても、別に咎め立てはしないで「いつまでああいう生き方が出来るのかな」という程度のことだと思う。また、東京のようなところでは、ああいう生き方も成り立ち得るかと思うが、松山のようなところだと、いろいろな世間的なしがらみが強すぎて、ああいう生き方は難しいと思う。都会ではああいう人がいるのだな、という程度の感想を持っただけだった。
番組のテンポは速いが、「ダメ連」のような話題でじっくり話し込むような形をとれば、嫌悪感が強くなりすぎてもたないと思う。

・「森首相」については、番組内で八代英太さんが言っていた通り、例のゴルフの場面を頻りに出してきて、これでもか、これでもかと言わんばかりに出してきて、一方的に批判するのはどうか。建設的とは言い難い。これは、今の政局が云々という以前の問題で、話題の扱い方として良くない。マスコミというのは、やはり大変な影響力があるのだから、その点をもっと自覚しなければならないと思う。
「ダメ連」については、思わず笑ってしまった。世の中には、働きたくなくて、ああいう形でバラサイトしている人は昔からいるわけで別段めずらしいわけではない。「髪結い亭主」とか「ヒモ」という言葉もある。特に「ヒモ」などという輩は、いかに女性に取り入って上手く金を巻き上げるかということを日夜悪知恵を巡らせている連中であって、それに比べたら「ダメ連」などはせいぜい親の脛を齧るぐらいのことで、悪質さという点で言えば、「ヒモ」よりはまだましだと思ったりした。ただ、ああいう生き方ができるようになったということは、それだけ日本は裕福になったものだと感じた。もちろん、一方では人生の目的、生きがいが見つからないから、ああいう生き方になるのだろうし、妻子もいないから生きていけるのだと思う。「そんなに私が悪いのか!?」という番組のタイトルからすれば、良し悪しという評価以前に「勝手にしろ」というのが、私の感想だ。

・最もショックを受けたのは、国会での野次のことで、あんなに下品なのか、また、女性に対する仕打ちにしても、あれはセクハラなどという程度をはるかに凌駕していて、よもや国会であのようなことが起こっているとは想像もつかなかった。私が最近見たテレビ番組の中では一番ショックを受けた。ああいうことが表に出されるというのは大変な良いことだと思う。
厳しい意見もあるかと思うが、基本的にこのような番組はあってよい。日本人は横並び意識が強すぎて、同じ様な価値観を持ちやすい。しかし、この番組は常識とは違う視点、あるいは、物事を違う角度から観ている。いわば、アンチテーゼを出すというのか、複眼的に観ているという点で有意義ではないかと思う。ただ、捉え方については、やや一方的すぎる部分はある。
たとえば「ダメ連」のような生き方が出てくるのは、社会的背景としては、今のサラリーマンの労働が苛酷であるという部分があるように思う。新卒学生の3分の1が、1年内に転職するというのが現実である。こういうことへの批判という部分も汲み取れないわけではない。ただ、「そんなに私が悪いのか!?」というタイトルは、いささか猛々しい。「盗人にも三分の理」というような言葉もあるが、しかし、その「三分の理」だけ取り上げて、それがすべてだというような態度で開き直られると困る。タイトルは、もう少しアイロニカルなものにしたほうが良い。常識としては、人の生き方としては働かないことは悪いことだと思うが、いろいろな価値観はあってよい、また、そうあるのが健全な社会だ。
これは細かいことかも知れないが、一つ疑問を感じたのは、ダメ連のなかにいわゆる茶髪の人がいることである。きちんと茶髪にすると一万円前後かかるらしいが、あの人たちはそんなお金をどうやって捻出しているのか不思議だ。

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