番組審議会

第107回 放送番組審議会議事録

1. 開催日時:平成17年10月25日(火) 午後4時
2. 課題番組:「放送番組全般について」
3. 記事の概要:
・テレビを見ていると時代の流れを感じる。仕事で学校を巡っているが、子供たちの様子を見ていると、テレビのお笑い番組、バラエティ番組が、そのまま授業に影響していることを、最近特に強く感じる。ある学校で4年生の音楽の授業を参観した。その授業は女性の先生がなさっていたが、先生がそのクラスをまとめ切れていない。というのは、「もみじ」をみんなで歌うのだが、その「もみじ」の情景の説明ができない。それで、「お願いします」といってきた。私の授業じゃない、私は参観に来ただけなのにということで、それじゃお絵かきをしましょうと提案をした。そして、絵を描くと、「あー、下手だ、下手だ」とかいうところにばかり、子供の眼がいってしまう。そうじゃなくて、4コマ漫画にしようということで、まず、紅葉の山を描こう。そして、それが紅葉が散って、小川に落ちて、いろいろな色の紅葉がくっついたり、離れたりして流れていく様子なんだと説明をする。ところが、その説明をしている間、先生は知らん顔をしている。先生は分かっていない。本当にこれで音楽を教えられるのかなと思った。そのとき感じたのは、テレビの影響力というのは大人に対しても大きいのだけれども、子供に対しては私たちが想像する以上に大きい。ですから、放送する側にもいろいろ事情はあるとは思うし、何も子供の教育によい番組ばかりを放送しなさいというわけではないが、何か子供に提案できるもの、訴えかけるものを放送して欲しいと思う。例えば、これから各地区で合唱のコンクールが開かれるが、どの学校も童謡を歌っていない、一校も歌っていない。では何を歌うのかというと、人権をテーマにした歌を歌う。それも素晴らしいテーマだし、決して悪いとは思わないが、私は、日本の季節とか、風景とか、人情とか、そういうものを童謡に託して、子供たちに伝えたい、取り入れて欲しいと思って学校を訪れているが、それが反映されていない、活かされていないというのがとても残念だ。たとえば、一つの提案として、天気予報のときに日本の風景をバックに流すとかの方法で、視聴率に関係のない、そういうじゃまにならないところで、暖かな部分を見せて欲しいものだと思う。また、最近のドラマを見ていると、犯罪の手口も昔とは違っていて、実際の犯罪のヒントになってしまうようなことがあったり、女性が軽々しく男についていって事件に巻き込まれるようなストーリーなどがあり、時代の変化を感じる。また、社長のご挨拶にあったが、報道の自由というのは、ある面では絶対必要だと思うし、祭りの状況を詳しく知らないので何とも言えないところはあるが、見る側もモラルをもって見なければならないし、逆に提供する側は自由に報道していいのではないか、あまり気を遣う必要はないのではないかという感じがする。視聴者にはいろいろな考え方があるものであって、好意的に受け止める人もいれば、そうでない人もいる。もっと自由に報道してよいのではないかと思う。前回の審議会のときは、ちょうど渡米していたが、眼の前で発砲事件があった。テレビでは犠牲者の映像や、追跡シーンの映像もはっきりと流していた。海外では、そのあたりはかなり自由にやっているように思う。

・時代は確かに変わっているが、子供に対する影響の大きさを考えると、やはりテレビの側がしっかりしないといけないのではないか。しっかりした芯のようなものが必要だ。

・この数年間を振り返ってみて、テレビの重要性を感じたのは、やはり災害時の放送で、今年、昨年と地震、台風の災害があったが、とにかく災害時に自分のいるところで、他所で何が起きているか知る上でテレビが秀でていると感じたのは、やはり即時性、緊急状況に対する対応、地震が起きたときに、マグニチュードで表現されても分からないが、テレビ局が揺れている様子を一目見ることで、そこで起きている事態の深刻さが一瞬にして理解できる。この即時性は、この数年で著しく進歩しているように思う。もっとも、被害状況を伝える際のワイドショーの取材方法などは、今後の検討課題だと思う。即時性が極められてきた結果、今度は取材方法として、どういう切り込み方をするか、どういうフォローをして、本当の人の悲しみ、それを乗り越えていこうとする姿をレポートしていくのか。新潟県の中越地震から1年経ちましたが、その後、被災地の山古志に、どのぐらいの人が帰ってきたかというようなレポートがテレビであったが、あれは非常にいいことだと思う。そういう風にどこかで災害が発生したとき、そのときだけ大きく報道するのではなく、今、皆さん何かに気が付いて、ずっと山古志を追いかけてみよう、追いかけてみたいと思うディレクターや記者の方が出てきているのだと思う。そういう方の声を拾い上げて、番組作りに活かしていただきたい。やはり災害をもっと早く食い止めるにはどうすればいいのかというようなことは、国民がその状況を知らなければ、防災のための出費の意義を理解できないと思う。そういう役割をテレビに期待したいと思う。また、テレビで映画やスポーツを見る人は多いのだが、CMや提供クレジットなどの入れ方やタイミングが、時として思いやりがないときがある。映画を映画館に見に行けない人、時間のない人もいて、テレビで映画やスポーツが見られるということは大切なことだと思うので、そういう配慮もしていただきたいと思う。最後に、この審議会の直前にゼミがあり、その場で学生たち、男子5人、女子5人にテレビのことを聞いてみた。よく見る番組は、すぽると、スポーツコーナー。これらは23時台だが、もう少し早い時間からみるという学生が2人。23時台にスポーツコーナーがあると答えた学生が多かった。ドラマは、連続物は見ない。それは、見たくないのではなく、一回とばすと分からなくなるからというのがあり、できれば一話完結で、一回見逃しても登場人物のことが分からなくならないようなものがいい。最近見た番組でおもしろかったものは、あいのり、ハニカミ、電車男、ブラザーリード、リンカーン、1リットルの涙というような恋愛の疑似体験に大学生は惹かれている。笑いも大切な要素だが、泣けるというのも大切。やはり、泣けるというのは大切で、ずっとウルルンを見続けているという学生もいた。コント系、ゴクセン、エンタの神様も、お笑いだが逆にがんばっている芸人さんを見ると涙が出るという学生もいた。テレビを見始める時間は、夜の9時から12時。ドキュメンタリーは1時間ものはきついが、ニュースの中の特集で5~10分間ぐらいのものは、すごくためになり、見たら得をした気分になるので、そういう特集のあるところにチャンネルを合わせる。報道ステーションはよく見るのですが、男は古館が好き、女は苦手。一日のおさらいのような気持ちで見始める。しんどくなったころスポーツになるのがいいという学生もいた。いつ新番組を知るのかということについては、テレビガイドや新聞で決めるのではなく、テレビの中で流れる予告編や番宣を手がかりにすると言っていた。大学生は決してテレビが嫌いなわけではなく、大好きなので、大学生のためにも良い番組をどんどん作ってもらいたい。

・主婦は、情報番組をよく見るが、ある一つの番組がある一つの食材を紹介すると、その食材がスーパーマーケットから消えてしまう。寒天、にがりなど枚挙に遑がない。テレビの影響力というのは本当に大きいものがある。そういう情報に単純に飛びつく主婦もいけないが、情報を提供する側も充分に中身を吟味した上で紹介していただきたいと思う。しかし、例えば寒天もにがりも摂り過ぎると、身体によくない影響を及ぼす場合がある。そういう悪い部分は悪い部分として踏まえたうえで紹介して欲しいと思う。また、例えば、NHKの「ためしてガッテン」だと、いろいろ実験もしてみて、判らないことは判らないとはっきり言う。しかし、たとえば「あるある大事典」は、「これはいいですよ」、「こんなにいいですよ」ということで囃し立てる。基本的に、エンターテインメント性を追求しているのか、情報の正確さにも配慮しているのかというところが、番組の姿勢としてはっきり出ているように思う。やはり、情報の正確な伝達というところにも、きちんと配慮した番組作りをして欲しいと思う。私が最近見た番組のなかで涙したものがある。それは、ギャラクシー賞を受賞した「笑ってコラえて!文化祭 吹奏楽の旅 完結編 一音入魂スペシャル」(日本テレビ放送網、初回は 2004年11月3日放送)だ。うちの娘はコーラス部にいますが、コーラスにしても、ブラスバンドにしても、甲子園の高校野球のように日の目をみることはないけれど、みんな夏の猛暑の中で一生懸命がんばって練習している。全国大会に出場できなければ、金賞でもダメ金などといわれたりする。そういう普段みんなの目に触れることのないところにスポットライトを当てて、しかも課題曲が決まる春先ぐらいから長いスパンで追いかけて取材したものをまとめたものだった。NHKでは、あるスポーツのコーナーでスケートの清水選手のドキュメンタリーを放送していたが、これも短いものだったが、清水選手がずっと若いときの映像も取り混ぜてのもので、見ごたえがあった。こういう番組を作るには、どの選手が大成するか判らないので、先見の明のようなものも必要だとは思う。最初から、この人と決めて追いかけるのは難しいと思うが、物事の過程や成功の軌跡を追っていくのは、子供たちの眼にも、純粋なものとして映ると思うので、やらせの余地のない、良い作品になると思う。そういう腰を据えて作る番組が必要だと思う。先日の神輿の事故の映像は、ちょうど「いーテレ」の後だったので見たが、やはり衝撃的な映像だった。「ああ、あの人、本当に挟まれてしまった」と思って、見た瞬間、身内でなくてもギュッと胸を締め付けられるような気持ちになると思う。撮った瞬間は「スクープ映像が撮れた」と思われたかも知れないし、視聴率のことも頭を過ぎったり、いろいろな考えをめぐらせたと思うが、慎重に判断したうえで放送してほしいと思う。犠牲者が私の身内だったら、あの映像ははっきり申し上げて辛いと思う。もちろん抗議のためとはいえ、暴力を働くということは絶対に許されることではないし、そのことについては、逮捕された本人が自分で反省しなければならないことだと思うが、放送する側としても、いったんぐっとこらえて、「これはスクープ映像だけど…」という気持ちが欲しいと思う。先ほどの社長のお話にもあったように、視聴率だけというのではなく、見境のある、きちんとした判断をして番組を流す、新しい番組をつくるときも、他局でこういう番組が流行ったから、こちらも同じようなものをというのではなくて、オリジナリティのある、よく考えられた番組をつくって欲しいものだと思う。

・テレビは映像の世界なので、影響も大きい。いろいろ副作用もある。そして、テレビ局には主体性が必要だ。

・私はあまりテレビ番組を見る機会がないが、お祭りの映像の問題は、北海道の知人から電話があって「松山はすごいですね」といわれた。お祭りのときは、関係者は異様な精神状態になるので、取材の際にはいろいろと気をつけられたほうがいいと思う。最近のテレビ番組を見ていて、とても残念に感じるのは、今、どこの局でも食べ物を取り扱う番組が非常に増えた。ところが、食べ物を遊びごとにする番組が増えている。生クリームを顔に塗ったりなど、これは、非常に不愉快だ。「もったいない」の心を大切に、などといわれているのに、子供たちは、ああいうテレビ番組を見てどう思うだろうか、心が痛む。もっと、食べ物を大切にしようというような番組ができないものかと思う。また、お笑いの番組については、あのような番組を見て、ほんとうに心から笑っている人がいるのだろうかという気がする。言葉遣いも、とても聞いていられないような言葉が出てくる。そして、それを若い女性がワーワーキャーキャー言って騒ぐ。これが日本の若者文化なのかと思うと嘆かわしい、そういうお笑い番組が多いように思う。やはり、なるべく正しい言葉を使って、それでも心から笑えるようなお笑い番組ができないものかと思う。また、テレビで身体に良いと紹介された食べ物が店からなくなるというのは、本当に覿面だ。そして、今度はそれを食べ過ぎて身体を壊す。その繰り返しで、ばからしさ加減には、あきれるばかりだが、どういう食べ方が正しいのかということも、付け加えた上で放送して欲しいものだと思う。、放送にもマナー、品格が欲しい。

・一つはスポーツ番組についてだが、いつのまにかスポーツ番組はやたらとうるさくなっていて、TBSの「世界陸上」などもキャスターがうるさくて、純粋にスポーツを楽しめない。思えば、フジテレビがバレーボール中継にジャニーズを呼んで来て、騒がせたあたりから始まっているのかなと思う。テレビ朝日系列の「世界水泳」は、そうでもなかったと思うが、「世界陸上」については、たまたま休みで家で番組を見たが、家族が本当に怒っていた。実際にうるさい、純粋にアスリートの競技を楽しめない。また、やたらとひっぱる。「さあ次は○○選手」というから、CMの後、期待して待っていたら、全然違う選手がやっている。「いよいよ○○選手登場」というから、今度こそと思っていたら、また違う。いい加減にして欲しいものだ。陸上競技、特にフィールド種目は、スタジアムのあちこちでやっているので、いろいろ時間差があって、つなぎのために仕方がないという部分はあるとは思うが、「さあ、次です」「いよいよ始まります」という調子で、延々待たされて、おそらく30分はひっぱった。そんな時間があったら、他の用事ができる。あのあたりは、なにもTBSに限ったことではなく、テレビ局全体が考え直してもらいたいものだ。また、これは古館さんが始めたことではないかと思うが、スポーツ選手にやたらと渾名をつけるのはやめるべきだ。スポーツには関係ないことだ。このあたりもスポーツ番組をおかしくしている原因になっていると思う。もう一点は、「超能力」の取り扱い方だ。超能力を個人が信じるのは勝手だと思うが、テレビ局が電波を使って番組として流すのは如何なものか。外国の超能力者を呼んできて、犯人や失踪者を捜すというようなこともよくやっているが、それは個人が頼んでやる分には勝手だが、それをテレビの番組にしてしまうというのは、科学の否定であって、テレビの影響力は大きいことを考えるべきだ。以前に血液型の番組が問題ありとされたことがあった。有名な占い師をメインに据えた番組もあるが、これも子供の教育上いかがなものか。子供の教育に悪いといって、程度はありますがアダルト系の番組を否定するつもりはないが、超能力は、どうも看過せないように思えてならない。

・先日、ライブドアとフジテレビが争ったとき、マスコミ、経済界の反応は、ライブドアが金にものを言わせてのいわゆる敵対的買収に走ったことに批判の矢が集中した印象が強い。確かに、取引時間外に株を買い増すなどの裏の手口を使っていたことでびっくりした部分はあるが、これとても違法ではない以上、ライブドアに罪はない。しかし、放送業界を筆頭にマスコミや経済界は、ライブドアが札束でニッポン放送の面を張ったような書き方が目立つ。今回の楽天の一件も、事前の連絡もなく株を取得したのは唐突(TBS井上社長)と不快感をあらわにするが、ニッポン放送やフジテレビ、また今回のTBS、そういった人たちは株式制度、ひいては、資本主義をどの程度理解できているのだろうか、不思議に感じる。これからすると、日本の資本主義の常識というのは、世界の非常識であるといわれても仕方がない。私は、こういったフジテレビ、TBSなど放送業界の発言は問題の本質を認めたくない、或いは、糊塗するために行っているように見える。この10年間、ラジオ、テレビなどの放送業界はIT業界などに比べると成長していないに等しい。IT業界の堀江氏や三木谷氏から見れば、放送業界は何をやっているのかということになる。ところが、こうしたことは既存のメディアに胡坐をかいている人々には、極めて耳障りな言葉である。そこで、問題の本質をすりかえる論理を展開する。いわく、放送は公共性が大切。天下の公器。はては、土足で人の家の座敷に踏み込んでくる。全く見当はずれのことをいっている人までいる。しかし、今現在の放送の実態は、そのようなご大層なものであるのか。お笑い芸人にべったり依存して、本来放送局が行なうべき企画を疎かにしているのが、今のテレビではないだろうか。はっきり言って、お粗末な番組が多すぎる。公共性を否定するつもりはないが、視聴者は今のテレビよりも、もっと面白い媒体が出来てくれば、そちらに移行するだろう。ライブドア騒動のとき何をするつもりかはっきりしないというのが放送業界の言い分であったが、堀江氏も商売のネタをベラベラ喋るほど馬鹿ではない。今回の三木谷氏は放送と通信の融合をはっきり言っている。これは視野の狭い論者からすれば、楽天が通販やネット事業より更に儲けるためにという短絡的論調になるであろうが、この問題はそれ以上に我々に想像もつかない可能性を秘めている。堀江氏や三木谷氏は、現在の放送業界にどっぷり漬かった人では、これからクリエイティブな革新はできないであろうと踏んでいるのではないか。現在の放送業界は、そういった可能性に気がついていないか、努力をしていないかのどちらかである。そのことは、なぜこの2社が狙われたかということを考えてみればよくわかる。ライブドアのときも、今回の楽天も、村上ファンドが動いている。ファンドが動く唯一の理由は、資産価値に対して、株価が著しく低いことである。すなわち、TBSもフジテレビも資産を遊ばせ、現在や将来への努力をしていない会社だとみなされたことになる。今の放送内容を、これでいいと思っている放送局は、こうした新興勢力にいずれは呑み込まれていくであろう。

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