番組審議会

第72回 放送番組審議会議事録

1. 開催日時:平成14年4月25日(木) 午後3時
2. 課題:「いわゆるメディア規制3法案について」
3. 記事の概要:
・これらの法案にいわれている規制がかかってくるということになると、報道活動のスピードは明らかに減速してしまう。何を伝えるにしても、全部一つ一つ説明して、許可や同意をとりつけるということになると、記者の負担は重くなり、他方、何か情報を提供したら、それは誰から聞いたのかとか、内容に誤りがないのかといったトラブルに巻き込まれかねないので、情報提供者が萎縮し、結局、報道側、情報提供者側の何れもが萎縮することとなって、そもそも取材活動そのものが成り立たなくなる虞もある。

・個人情報は大変重要なものだし、個人情報をめぐる現在の状況に問題があることは否定できない。また、今までの報道の在り方について行き過ぎた部分があったことも確かだが、しかし、メディアの活動の全部が全部悪かったというわけではなく、ほとんどは適正なものであって、一部に行き過ぎがあったからといって、メディア全体をこれほど束縛することは望ましいとは言いがたい。

・いわゆるIT社会になってきて、個人情報の取り扱いについて、今までには考えられなかった問題が発生しており、そういう意味で、今までにない形の保護が求められていることは確かである。また、メディアに携わる人が、我先に情報を獲得しようとして、懸命になっている気持ちは分かるが、行き過ぎと言われても仕方ない状況というのもある。これらの法案が成立したときにメディアの側に課せられる制約が、どの程度なのかは分からないが、制約の程度について、さらに議論や考察が必要だと思う。また、さまざまな情報を一般国民に知らせるというメディアの意義、必要性も大切である。

・今までの報道を見る限り、反対意見が圧倒的に多いが、こういう法案が出てくる以上は、これに賛成する人も少なくないことは事実ではないか。これらの法案に賛成する立場の人たちの声をききたい。この法案のいい部分、必要な部分というのもあるはずだから、いきなり国会で多数決をするのではなく、もっと時間をかけて、賛否両論を尽くすことが必要だ。

・国民がよく分からないままに、法案が国会に出てきてぱっと通すというやり方をするようなら、そういうやり方にはやはり問題がある。ここで少し時間をかけて、議論を深めていくという手順が必要だ。

・あるニュース番組で、キャスターが「メディアというものは、法律で規制をしなくても、国民が裁くのが本筋である。あまりに度を越した行動をすれば、国民がその番組を見ない、聞かない、読まないという行動で意思表示できる。この国民という見張り番が居るのだから、このような法案は必要ない」と言っていて、これは分かりやすい表現だと思った。

・この法律によれば写真一枚とることもできない。ましてや、オフレコの取材などというのも成り立たない。

・やはり、取材や報道の在り方というものは、メディアが自らを律するものだ。そのような自律能力は決して失われていない。

・この法案は、数の論理で押して、賛成多数で可決成立させてしまって良いというような性質のものではない。

・マスメディアの側も、もっと早い段階からこれらの法案の問題点を明らかにし、問題の重要性を一般の人にももっとよく分かる形で伝え、注意を喚起すべきだったし、今からでももっとそういう努力をしなければならない。

・私たちの個人の情報、つまり、住所、電話番号、性別、年齢、家族構成その他について、私たちのわからないところで遣り取りされているので、いったい自分に関わるどんな情報が、どういう経路で伝播しているのか不安や恐怖感のようなものも感じられる。しかも、コンピューター社会になってからは、データの遣り取りが極めて容易になったので、その分悪用されたりする危険も増えたということは言いうる。本人の知らないところで、本人についての情報を勝手に利用する行為を何とか阻止できないかということにもなる。しかし、営利目的の勧誘や、ダイレクトメールなどの基とされる情報と、メディアが取材により入手し得た情報が同列に論じられているということに、まず大きな問題がある。

・この法案のなかで掲げられている基本原則というのは、一見常識的なものであり何らの問題もないように見えるが、例えば、適法かつ適正に取得する、とか、正確性、透明性の確保といった原則について、それが具体的にどういう状況をもたらすか、具体的に考えてみると、例えば、取材される側が取材する側に「あなたはどうやってその情報を入手したか明らかにしなさい」と言える。また、「あなたの持っている情報は間違っているのではないか。入手元と内容を明らかにしなさい。それによってあなたの情報の正確さを判断します」と言える。こういうことがメディアにも適用されるということになり、取材活動が大きく制約され、記者の取材活動が萎縮してしまう。あるいは取材活動ができなくなる。

・「適法かつ適正に取得」という、一見常識的な文言であるが、これがメディアの取材活動に対しては致命的ともいうべき影響を及ぼす。政府や立案担当者などは「それは義務ではあるが、罰則はない」と言っているようだが、法律に規定されてしまうと、いくら罰則がないからといっても、法を遵守しなければならず、民事的な損害賠償請求訴訟などにおいて、取材活動の違法性を容易に認定する手がかりとなる。

・昔からジャーナリストの大原則とされている「ニュースソースの秘匿」ができなくなり、内部告発というようなことができなくなる。つまり、この「個人情報の保護に関する法律案」によれば、自由な取材、報道ということができなくなってしまう。

・「人権擁護法案」については、差別、虐待、セクシャルハラスメントなどと同列に「報道被害」が挙げられている。しかも、その認定を法務省の外局として設置予定の人権委員会が判断する。つまり、報道の内容や質を国家が審査するということになっている。マスメディアには「報道の自由」があるが、その自由の行使の内容について評価、判断するのは、視聴者、購読者であるはずである。視聴者や読者から見放されたメディアは生き残れない。顰蹙をかって視聴率が下がる、部数が落ちる。視聴者、読者からの信頼を受けているからこそ、メディアは使命を果たしうるのである。ところがこの法案によれば、報道被害の判定は国家が下し、国がこの法律に基いて救済の必要性の有無を判定するという。ここには大きな疑問がある。

・法務省の不祥事の報道などについては、法務省自らが報道被害の有無について判定できることとなり、不当である。

・マスメディア自身、過剰取材があることについては自ら認めているところであり、それについての防止策について既に検討を始めている。いわゆる自主規制を試みている社も少なくない。形はいろいろであるが、第三者機関をつくって取り組んでいる社もある。

・これらの法案は、いわゆる「悪法」であるということで、そういう趣旨の報道ばかりが目立つ。しかし、この法案に賛成する人、、必要だと思う人が相当数いるはずだが、そういう人の声が出てこない。何か「悪法」「悪法」「悪法」ということで、世論誘導というか、洗脳されているような感じすらある。今政治家の不祥事が相次いで暴かれているが、こういう世相の中で「この法案ができると、不祥事が握り潰されますよ」という調子で報道されれば、自ずと「反対」ということになってしまう。

・「人権擁護法案」については、犯罪の加害者が非常に手厚い保護を受けているのに、被害者にはケアがなく、マスメディアの取材に曝されている。まさに、被害者の人権が守られていない。ワイドショー的な取材については、目に余るものがあり、このような状況がメディア不信に繋がっている。

・個人情報の保護については、最終的には個人の良心に頼るしかないのではないか。

・メディアによる報道被害については、以前から問題とされていたし、マスメディアへの批判もあった。何らかの歯止めは必要だと思うが、これはなによりもまずメディアが自分で律することが大切である。広く国民も交えた形での意見交換をするというようなことから始めるべきだ。

・三法案それぞれに、それとして正当な、人権救済や有害環境への対策という立法理由があるのは当然である。しかし、その中にメディアに対する不当な規制がそれぞれに含まれている、というのがメディアの問題意識であり、それはそれぞれ当を得ている。メディア側が問題点を指摘して、その点に反対することに賛同し、政府原案が廃案若しくは適正に修正されることを希ってやまない。

・取材の自由、報道の権利、ともに表現の自由の一つの現われであり、政治や社会にとって枢要なものであること論を俟たないが、そもそも表現の自由を行使する手段を何ら持ちあわせていない我々視聴者、読者からすれば、それを独占しているといえるメディアが国(政府)から自由を侵害・規制されかねない場面で、その規制を排除、適正化するため視聴者等国民から積極的賛同、支援を得ようとしたとして、日頃の自らの自由の行使の在り方に対して、国民の側に支持や共感がなければ、持てるもののエゴとさえ映りかねず、難しいのではないか。

・行政については全てオープン、いわゆるガラス張りが良いという認識が定着してきたが、行政の保有する個人情報については手厚い保護が必要である。情報公開と個人情報の保護は、まさに車の両輪である。しかし、ここでいう個人情報の保護というのは行政に課されている義務であり、これをそのまま市民社会に適用することには無理がある。

・「自由」「表現の自由」「報道の自由」には二つの面がある。すなわち、積極的自由と消極的自由、つまり、何かを「する自由」と「しない自由」がある。今の時代では、積極的自由、「する自由」、「参加する自由」ばかりに力点を置いているような感じがするが、他方の「しない自由」も大切にすべきである。その意味では、情報も絶対に保護するということはできないが、保護すべきものについてはしっかり保護するということが大切だ。

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