番組審議会

第87回 放送番組審議会議事録

1. 開催日時:平成15年10月27日(月) 午後3時
2. 課題番組:「テレメンタリー 僕は、この足で駈けて行く」
          9月13日(土) 午前11時00分~午前11時30分(30分)放送
3. 記事の概要:
・この番組は、障害を持つ子供達に夢を与え、そのような子供を持つ親に希望を与え、また、彼らを取り巻く仲間達に本当の「やさしさ」を教えることのできる、ひとつの教育番組といえる。

・マスコミの執拗過ぎる取材のあり方に、マスコミ側として自ら一石を投じた、その姿勢は良い。

・長きにわたる取材の蓄積があって出来た番組である。良い番組を作るには、取材の対象が良いことが必要だ。

・この番組は曽我健太さんにとって記念碑的な番組となっている。

・高校球児としての曽我健太さんだけでなく、彼が生まれてからの生い立ちを丁寧になぞっていて、やはり一朝一夕にはこういう番組は作ることができない、長年の努力の蓄積を感じさせる。

・子供に「やればできる」という意識づけができる番組である。

・「心の義足…」という最後のフレーズについては少し違和感があり、「義足が、彼の本当の足になった」という方が正確だと思う。

・ナレーションが少し多すぎる、喋りすぎる感じがあり、彼に何か特定のフレーズを言わせようとしているようなところもあった。

・曽我健太さんは、甲子園出場が決まってからは、普通のニュースでも取り上げられることが多くなっていたが、こういう取り上げ方ができたのは、EATだけであり、また、曽我健太さん自身が人間として成長していなければ、こういう番組は出来なかったと思われる。

・彼の周囲の人たちが皆素晴らしい人ばかりで、義足を作っている方、お父さん、お母さん、お祖父さん、宇佐美監督、チームメイト等々、皆が彼をそっとサポートしている。これもまた、彼の存在自体が皆を学ばせたのではないか。

・「心の義足…」という表現について、「心の義足」とは何なのか。彼は義足であることを全く感じさせない訳で、強いて言えば見ている方が勝手に義足を感じている。彼は「義足」が云々というような次元を越えているのであって、「心の義足」というのは的はずれな表現であるように思われる。

・「負けたあと、また野球が好きになった」というところが、とても清々しい。この番組を一つの区切りとして、次の人生にスタートするという気持ちが強く伝わってきた。

・開局直後の別府ディレクターの作品と比較すると、同じ人がこういう番組を作ることが出来る、それほど成長し、視野が広がったということに驚き、また嬉しくなった。別府ディレクターと曽我健太さんとの間にこれだけの特別な信頼関係がなければ、この番組は出来なかったし、そういう信頼関係を結べるほどに別府ディレクターの人柄も深くなったのだと思う。また、別府ディレクター、曽我健太さんの母校、今治西高校への愛情、母校愛も感じた。

・番組の中で入っている大澤寧工アナウンサーの実況ぶりも進境著しい。

・「心の義足」という表現は、確かにひっかかるが、別府ディレクターとしては、見ている方が感じているところとは、違う何か他のことを表現したかったのかも知れない。

・この子に野球をさせるという、父親のその発想自体がすごい。普通は、傷つかないように必死で庇ったり、必要以上に情愛を注いだりするものだが、こういう育て方をしたというお父さんに敬意をいだいた。

・この番組は曽我健太さんにとって一つの賞であり、詰まるところ、これほどの作品が出来るほどの人に育ったということである。

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