番組審議会

第126回 放送番組審議会議事録

1.開催日時:平成19年9月25日(火)午後3時
2.課  題:「放送番組全般について」
3.議事の概要:
・テレビのリモコンが出来てから、チャンネルを変える速さが明らかに速くなっている。このためテレビ番組は面白くなければならないという至上命題ができ、番組を作る人たちは、刺激の強いものを出し続けなければならない使命を負わされるようになった。このため、どこを見ても同じような番組ばかりになっている。ローカルニュースも例外ではなく、時間とエネルギーがもったいない。何とか棲み分けのようなことはできないのか。そういう発想や智恵は無いものかと思う。ローカルニュースなどは時間をずらすなど編成上の棲み分けを検討すべきだと思う。また、デジタル化によって確かに画像は美しくなったが、問題はその中身だ。BSができたとき非常に期待感があったが、これにはがっかりさせられた。ほとんどがテレビショッピングだ。電波の希少性などということが言われるが、もっと電波と電力を有効に使うべきであり、いまのBSは電波と電力の無駄遣いといわれても仕方ないと思う。広告収入という観点からはテレビショッピングというようなコンテンツも必要なのかも知れないとは思うが、あまりにも多すぎると思う。

・私は朝、新聞のラ・テ欄を見て、これを見る、聴くというものに赤い丸印をつけるが、最近は丸印が減ってきた。その時間に都合をつけてテレビの前に座ってみたい、もしリアルタイムで見られないのなら録画してでも見たいというような番組がなくなっている。海外の番組、あるいは海外のメディアと共同制作したような番組にはいいものがあるが、一過性のつまらない番組を沢山作るよりは、いい番組を何度も流すほうが良いのではないかと思う。民放全体で大連合を形成して番組を制作するような時代が来ているのではないかと思う。今こそ放送というメディアを活かすべき時代であると思う。

・市場原理主義という言葉があるが、放送業界には視聴率原理主義があるようだ。そして、余りにも視聴率原理主義に傾いているように思う。むしろ、視聴率を無視した良質な番組を作ればどうかと思う。放送というのは文化事業であり、質で勝負するという発想が必要だと思う。私は、書店を経営していたことがあるが、質の良い書物がベストセラーになるとは限らない。往々にして「何故この本が?」というようなものがよく売れたりするものだ。テレビ番組も同じようなところがあるのだなと思った。先日の参議院議員通常選挙の話があったが、報道機関が現在の政権に厳しいのはやむをえないと思うが、ニュースキャスターや記者が、いやしくも一国の総理に対する言葉遣いとして、余りにも酷いもの言いをしているときが少なくなかったと思う。そのような言葉遣いをすることが「反権力」であるというような勘違いがあるのではないかと思う。

・最近のテレビドラマには、原作が漫画というものが多い。そして、いじめや暴力シーンをそのまま生の俳優が、テレビ画面に出てそれを演じるのだが、子供は意外と平然と見ているが、私から見ると見るに堪えない。漫画で描かれる限りではリアリティが希薄化されるので、許容限度が大きいが、テレビドラマにすると、生々しく映像化、音声化されるので、影響力という点では漫画の非ではない。「漫画のドラマ化」に限らず、番組を制作する人は、テレビ番組の刺激性の強さに配慮していただきたいものだ。また、番組の放送時間を念頭に置いて制作していただきたい。例えば、夕食時には「Qさま」とか「クイズヘキサゴン」のように家族一緒に見ることができ、少しは教養にも役立つようなもの、あるいは心の和むようなものが良いというようなことがある。ただ、何か一つの番組が受けが良くなって、他局がそれに倣うというようなことも困ったものなので、そこは作り手側で創造力を磨いて欲しいと思う。また、ある時間帯で好評であったからといって、他の時間帯に移すとダメになってしまうということがあるが、これは時間帯ごとに視聴者層や視聴者の欲求が違うからに他ならないと思う。そのせいか長寿番組は時間帯が一定しているように思う。それは、そういう配慮をしているのだと思う。

・ある日、朝からeatだけをずっと見ていた。ふと気が付くと、テレビ放送をしていないのは、未明、早朝の2時間ほどだけだということを知った。ニュースの速報性に対する需要は高まる一方なので、24時間体制というのは時代の要求なのかと思う。番組需要という点で大きく変化したのは、洋画の放送だと思う。高画質の媒体が低廉な価格で入手できるようになってきたので、日曜洋画劇場はもう極端に高い視聴率を獲得することは難しいと思う。むしろタイトルは「洋画劇場」ではあるが、これからは邦画をかけてはどうかと思う。邦画の中でも家族が一緒に見られるような邦画がいいと思う。

・この系列の看板番組の一つとして「報道ステーション」があるが、最近は古館伊知郎さんがようやく落ち着いた感じになってきた。もっとも、慣れという部分はあるとは思うが。さきほど、看板番組は同じ時間帯でやっているという話が出ていたが、報道ステーションはその一つの例だと思う。この番組のいいところは、特にスポーツのコーナーで、短いインターバルで次々と畳み掛けるように情報が与えられ、気持ち良い。速報性が要求されるときは、要らないものを削ぎ落とす必要があるのだが、そういう視点と技術を朝の番組にも活かし、丁寧に作れば、視聴率は付いて来ると思う。

・「日曜洋画劇場」は見やすい時間帯に放送されており、まだ番組としての需要は十分あると思う。また、「日曜洋画劇場」に限らず、テレビ番組への需要は世強いものがあると思う。新聞が総合情報産業であるのと同様に、テレビもジャーナリズムだけではなく、バラエティ番組のような娯楽性のある番組も放送している。しかし、どのような番組であっても、言葉は人格の顕れであり、このことは活字であると話言葉であるとを問わないと思う。そういう点ではヘマが増えていると思うが、それはあまり本質的な問題ではないように思う。むしろ、欠けているのは番組制作者の志であり、志の有無や内容を見抜くのは難しいと思う。そういう意味では、社員の入社時から十分に社員教育を施すことが大切であると思う。また、視聴者から乖離しては番組が成り立たないが、番組が世論を形成していくというのは、いささか不遜な言い方だと思う。ただし、番組の質の低下は、社会の質の低下を反映していることは確かだと思う。

・最近体調を崩したときに、テレビをミュートにして見ると、ものすごく楽だった。CMを含めテレビ番組の音声は身体に優しくないことに気づいた。また、「この番組はどのような人が見るのだろうか」と首を傾げるような番組ばかりになっている。また、昼間の番組は「暇な主婦や病人ぐらいしか見ていない」とでも言いたげな編成になっている。また、大食い番組も相変わらずあり、若い女性タレントの中には、どう考えても食べられない量の料理を平らげる人がいて、見ていて気分が悪くなった。テレビ番組は「これを見た人がどう思うか」という最低限の思いやりを持つ必要があり、大食い番組だから大食いであればあるほど良いというのは非常識だと思う。また、アナウンサーがますますタレント的に振舞うようになっている。タレントを大勢呼んでフリートークをするような番組で、特に女子アナウンサーがタレントと同じ態度でワイワイ話している。アナウンサーというのはタレントを取りまとめて番組の進行をするのが仕事であり、自分達自身をタレントだと思っているように見える。さきほど安倍首相へのインタビューにおける言葉遣いの問題が出ていたが、インタビューが一方的な攻撃になっていて、労うような配慮がない。攻撃だけでは不毛だと思う。後は、雑多な話になるが、旅番組では、かならずタレントや若い女性の入浴シーンがあるが、入浴シーンはないといけないものだろうか。一つ、昔にくらべて向上したのは音楽で、昔は単純に太鼓の音がするなど単音が多かったが、今は巧みにオーケストレーションされていて技術の進歩は目覚しいなと実感する。

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