第161回 放送番組審議会議事録
開催日時:平成23年3月25日(金)午後3時
課題番組:①「ふるさとCM大賞えひめ’11」、②「震災報道について」
1.開催日時:平成23年3月25日(金)午後3時
2.課題番組:①「ふるさとCM大賞えひめ’11」
2011年3月21日(月)15時00分~16時25分(85分)
②「震災報道について」
3.議事の概要:
①「ふるさとCM大賞えひめ’11」
・いつも番審の課題番組になっていると思いますが、今回はCM作品をカテゴリー別に分け、全般的な構成としてはスッキリしてきたのではないかと思います。その中でもナレーションを入れたり、スムーズな説明があったりで、最初の第1回目に比べると非常に大きな進歩、きっちりした番組というと失礼ですが、毎年毎年、成長しているという印象を受けました。CM自体は素人が作り限度がありますが、毎年、質が高くなり、見ている方も楽しみながら見ることができる30秒CMで、質が高い番組に仕上がっています。
・楽しく拝見しました。何より単調になりがちなものを、演出上に工夫を凝らし、努力が素晴らしいと思いました。良かったのですが、気になったことは、審査員の方々の顔ぶれが一掃したことで、期待しましたが、甘口ばかり、誉めるばかりでつまりませんでした。高校生だけのカテゴリー、これからが楽しみです。CMの作品そのものよりもステージ勝負になっていたとしたら、本末転倒だと思いました。CMそのものについては、いくつかは、もう一工夫、一ひねりほしい。起承転結の「承」までで終わっているものが結構ありました。そのあたりが、これから作品としての工夫をするところではないかと思います。
・今回はカテゴリー別に分けたことが良かったと思います。スッキリし、見やすかったです。6回目なので、段々ネタが尽きてくる感じがしますが、例えば伊方町が「なんちゃない」と言い、逆モーションでいたところは、なかなか面白い、工夫を感じました。審査員のコメントはどれもグランプリのような言い方で、いかがなものかと思いました。けなすわけにもいかず、難しいのだろうと感じました。ここ最近、震災のテレビを見ていますので、日頃と比べて全くテレビを見る量が増えており、重いものを見て、このCM大賞のDVDを見たので、いつもの感じと違った印象を受けました。楽しく見るという感じではありませんでした。その中で、むしろ素朴な、砥部町の小さな女の子が「エコの町」とエコのことを訴えていましたが、そのようなものがかえって良かったような気がします。重い感じの中でこのような番組を見た時は違う観点で、感じ方が違うと自分自身が感じました。「あたご柿」など純朴な感じのものがかえって印象が強かったです。
・どれもCMの雰囲気はほのぼのと、ほんわかとし、ゆるやかで良かったです。去年の同じCM大賞の番審の中身を読んでいて、みなさん今年も同じような評価をするのだろうなと思い、敢えて言います。出場団体、メンバーは同じような感じが続いている気がしました。見ていて全体として、デジャブと言いますか、既視感があります。それはそれで良いのですが、高校生のカテゴリーもありましたが、全体の課題として、もう少し都市部の若い人たちの作るCMみたいなものを取り入れる為に、「ふるさとCM甲子園」のようなものを、何年後かに描きやった方が、番組としてもジャンプアップすると思います。このままずっとやっていると、似たような団体による、似たようなCM。どこの紙面か忘れましたが、大根畑を背景にして、農家のお父さんとお母さんが「息子元気かい?」といたイメージ、山口県が観光案内で「おいでませ山口へ」といった、あのような雰囲気のCMから一歩も出ないような気がしました。もう少し新しいCMを、「ふるさとCM甲子園」というようなものを、できれば考えていただければと思います。地方の素人の中から新しいものが出てくる可能性があり、その方が食いつきが良いと思います。
・大賞を取ったCMは全国で、他の局8箇所くらいでも流れるのですか?向こうの局で大賞をとったものも愛媛で流れる、とういう相互関係があるということですか?全国に流れるということは、愛媛以外にも流れることは、大賞を取った人たち、やっている人たちにとっては、非常にやりがいのあることだと思います。地域の宣伝にもなり、面白いと思いました。全国でやっているのは8箇所ですか?毎年、番審で見ていると思いますが、毎回、地域地域の特産、その地域の良いところが出てきて、見ているものとしては勉強になります。ふるさと愛媛を愛する気持ちが、地域の特徴、特産といった点を通して描かれていますが、逆にその地域での問題点を克服し、より愛すべき地域になったといった逆パターンのCMがあっても面白いのかなと思いました。素人がCMを作り、それが非常に上手で、さらに桂小枝さんの突っ込みが上手、コメントも上手です。あえて注文を付ければ、最後どういう過程で大賞が決まるのか知りたかった。審査の過程で「この作品とこの作品がこのように競り、こっちの作品はここがもう少しこうだから、こちらが優勝した」といった内輪話があればより面白いと思います。
・番組のトップに湯築小学校の「DO GO」を持ってきていましたが、ポップな感じで見てみようとワクワクしました。子供が、ぱっと出てきて話している姿が最初にあったので、番組に勢いがつきました。地域のリーダーみたいな方が中心になり音頭をとっているCMだと、郷土の名産品を紹介しよう、売ろうという気持ちが出てきます。1人のリーダーがそれをコーディネートしたり、指示したりしていると、同じパターンにはまるかなと思いました。出演者が面白かったりすると高い評価になるのでしょう。その辺はカテゴリー別にしていくプロセスの中でそういうところが調整できないのかなと思いました。これは作品募集もカテゴリー別で行ったのですか?編集のために、カテゴリー別は後付けで行ったのであれば、審査する人たちは難しかったと思います。同じカテゴリーの中で順位を決めていく方が決めやすいと思います。愛媛県知事にはずっと来ていただいた方が良いと思います。知事はコメントも上手なので、うってつけだと思います。画面の中で、審査員がコメントしている時に、発言部分が同時にワイプで抜いて編集されており、とても良かったです。オープニングの空席が気になりました。座り方を変えるなどして、映像に空席がない方が活気があって良いと思います。良いところを踏襲して修正を加えながら続けていっていただきたいと思いました。
・最初に見た時に、湯築小学校の生徒が「DO GO 道後」と出てきてリズムが良かったです。大賞になると思いながら見ていました。全体的によくまとまり、上手にできていたと思います。田舎の方の人は田舎らしさ、街の人は垢抜けしたようなものが出ていました。魚のお兄さんはちょっといただけませんでした。よく知っているので、またバカをしていると・・・やはり入賞していませんでした。作品には、田舎らしさなど織り込まれており、全体的に非常に見て楽しい番組でした。素人が作っていますが、素人は素人でありながら完成度が高い。入賞したところは、うまく要点を掴み自分達がPRしたいものは何であるのかということがよく出ていたと思います。リズムがどれも良かったと思います。外国人が入っているのは良いと思います。内子町のサバもそうですし、伊方町、上島町もそうです。そういった人が、愛媛は良いというと、向うからも来てみようかなという気がするので、外国人を使うのも良いと思いました。三間町のコスモス館のおばさんたち、コスモス館で働いている人たち、あぜ道の花というお料理を出しているレストランをしている人たちばかりです。以前も3位に入り、「良かったね」と言ってあげましたが、今回は優勝したので本当に素晴らしいと思いました。実はあの人たちは80歳に近い年齢です。老人も捨てたものじゃない。シルバー世代の人たちも、あのような番組作りをしてみると良いと思いました。
・この番組、もう6回目くらいでしょうか。CMを作る皆さんの要領も良くなってきていているように思いました。出演順、一番の湯築小学校はすごい。30秒にギュッと詰め込まれていた感が「これぞCM」という感じでしたが、おばちゃんのおにぎりに負けて残念です。24作品を6つのカテゴリーに分けてあるのは、テンポ感があって見やすく、例年より時間が早く感じられました。番組の中身も贅肉がそがれた感じがあり、良かったと思います。会場では皆さんのアピールタイムがどれほどだったのか、出演された皆さんからすれば、「私たちのコメントは放送されなかったね」と思われるかもしれませんが、一般の視聴者からすれば適量だったと思います。ただ、アナウンサーの「あと9作品です」「残り6作品です」のカウントダウンはない方がいいです。あと9つ・・・ってまだあるの?という感が否めません。審査員の人選について、愛媛をよく知っていらっしゃる方がいいのか、知らない方々の方がいいのか・・・番組タイトルの「ふるさと」を考えれば前者ですし、「CM大賞」の部分を考えれば後者の方がいいとも思います。今回のメンバーならばもう少し辛口のコメントをくださっても良かったのでは?少し物足りなさも感じました。CMを作っている間に地元の方とコミュニケーションを取れたり、子どもたちが地域を見つめなおすきっかけになったりと、この番組の果たしている役目は大きいと思います。ますます大事に作ってください。ゲストの方、今回は少しテンションが低めでした。審査委員長の大賞発表の時のメモが簡単なもの過ぎます。アナウンサーのように立派なのを作ってあげたらよかったと思います。女性アナウンサーの印象が薄かったです。きれいなのにもったいない。後入れのアナウンサーとの声の区別がつきにくかったです。私的には東温市が いつ「ToonCity」でアニメ調の作品を作ってきてくださるのか。11号線を走り、東温市に入る時の標識を見ては、待ち遠しく思っています。
・おにぎりのおばちゃん達の楽しそうなメイクアップ、メイクを取ればこんな感じになる。印象に残っていました。色々な人生の楽しみ方がある。私も、おばちゃん達と一緒に楽しく遊ぶのも良いと思い、宇和にいる友達を懐かしく思い出しました。会場のカメラで映す時、空席で出演者だけが映っている、残念だと思いました。そうであれば会場を映すことを考えなくても良いと思いました。満席だと違っていたと思いますが。「実は私たち○○なんです」と、どのような意外性があるのか、どのようなグループなのだろうと思っていると、大したことありませんでした、もう少し何か付加価値を付けてあげる、何かないかなと感じました。考えすぎかもしれませんが、坊ちゃん劇場の方が審査員にいましたが、坊ちゃん劇場の方がプロデュースをしてCMを作っている。審査員と出演者がどうなのかな?真剣に深刻に捉える番組ではないので良いのかもしれませんが、違和感があった。友人と一緒に見ていましたが、「こんなのあり?」といった意見がありました。毎回言っていますが、女性アナウンサーの服装、どうしてあのような服を着ないといけないのだろうか?いつも一人だけが浮いています。今回は白色の服でしたが、何か意味があるのでしょうね・・・。内子町のサバですが、ふるさとの宣言には必ずしもならない。サバは冷凍か塩サバを使っていると聞いています。色々な角度のCMがあっても良いのかもしれませんが、大賞というものは、本当にふるさとの特色、特徴であるものをターゲットにしたコマーシャルにすればもっと良くなると思います。県外で焼きサバを大賞で放送されるとなると、内子に焼きサバを食べに行かないといけない、内子はサバといった感じになり、内子は海のイメージが強くなるのではと思いました。
・まじめに作られている印象です。○○大賞というと、もう少し面白いのかなと思っていました。内容が真面目な印象は、司会者の方のキャラクターなのでしょうか?今回初めて見たのですが、今までも、このようなノリだったのか、もう少しお祭り的にいくのかな、ふるさと祭り風の印象もあるのかなと。そういった意味で残念ながら、あまり印象に残らなかった気持ちもあります。イメージが残る、言葉が残る、CMはそれしかないと思います。言葉は「なんちゃない」など、普段使わないが、意味がありそうな言葉が残り、イメージとしては、面白いおばさんがいたり、網タイツもどきがあったり、雑駁としたイメージが残りました。
②「震災報道について」
・編集上、色々な映像を組み合わせていかなければならないので、非常にインパクトのある画像、よっぽど映すことのできない画は無理だと思いますが、それを繰り返し繰り返し流すので、オンタイムなのか、何日の映像なのか分かりません。3,4,5日経ってくると、初日の映像が突然流れ、コメントは違うものが流れていますが、また地震が起きたのかと勘違いしてしまいます。できれば映像の録画の画面には何月何日の画像なのかが必要です。報道によって起こる風評被害はすごいと思いました。原発の問題もそうですが、事実を伝えなければいけないという責務があるので、致し方ないとは思いますが、一喜一憂ではありませんが、あそこまで細かいことをすると、逆に視聴者に不安を煽ってしまうような感じがします。海外メディアの誤った報道に対して、何らかの対応は日本のメディアから発信できないのか?世界的なメディアのネットワークがあるので、誤った報道、過剰な報道が世界中に流れているという現実を日本で目にすると、そこまで過剰な報道は控えていた方がよいかと思います。現実の映像を流すことは仕方ないと思いますが・・・NHKや他の民間でも安否報道というカタチで、人数には限りがありますが、あのような画像を見るとホットする人も沢山いるでしょう。今回、阪神大震災と違い、広範囲に渡るので、限度があると皆思っていますが、今後どのようなカタチで報道し続けるか、これからのもっと大きな責任に繋がってくると思います。
・各局同じように見えました。非常にヤキモキした。例えば災害の援助の物資が送れない、届かない、沢山ある。遺体の捜索で取り残されているところが何箇所かある。非常な惨状です。何日間も援助の手を差し伸べられない。部分的な報道でしかない。非常にヤキモキしました。報道でどこかで取りまとめてやる方法はなかったのか。民放何局か、系列別に県を分けるなど。宮城県に知人がいますが、連絡が取れず、そこで県別に色々な報道がなされていれば、全国の人は相当見るのに役立っただろうと思います。災害地の人たち、避難している方はテレビが見られない状態です。全国の方々は、親戚がどうなっているのか知ることができなかった。国の機能がほとんど麻痺していて、援助物資、捜索のことなど、そういったことが全くコントロールできない時は、マスコミが掌握し、民放系列で話し合い、分担するなどしても良いだろう。NHKも含めてそれをやっても良いと思います。テレビを見ていて、ほとんど同じような報道が繰り返されていた。捜索をしない間に飢えて死んでいった人もいるだろうし、何日間も援助の手が差し伸べられないという人もいた訳ですから、そこは何とかならないかとヤキモキしました。福島の原発の問題ですが、これはもしかすれば地震による津波災害よりもっと大きな問題で、非常に比べ物にならないほど大きな問題になるかも分からない。朝日新聞の本日午前配信のインターネットの情報によれば、スリーマイル島を上回る危険度、チェルノブイリに匹敵するだろう。非常に大きな問題です。将来的にその地域に住めなくなる可能性もはらんでおり、国民は政府の発表はほとんど信じていません。小出しにしていますが、全部安心情報だけ。「過剰な反応はいけません、大したことはありません」といった内容です。それをマスコミもNHKも含めて、専門家をよんできて安心情報を出している状況になっています。20年も前に平井憲夫さんが福島原発は大変なことになる。地震が来れば一発だという警告を出しており、その方は亡くなりましたが・・・2年前に国際原子力安全委員会が日本の原発の保安基準はひどいという文書を日本に出しています。それはウィキリークスという告発の団体が公開しています。そういったことすら国民は知らされていません。言ってみれば、今度の原発のことについて言えば、加害者は東京電力と国であり、被害者は国民であり、その構図がきちんと報道されていません。現状だけ、ほのぼのとしたニュースがあります、という内容で、場合によっては東京電力の社員はよく頑張っている、文句は言えないといった報道まででており、とんでもない話しです。あれは犯罪行為です。東京電力が犯した罪、それに加担した国の原発政策。世界的に言えば原発を縮小し、廃止する傾向にある中で、日本、韓国は増やしています。まだ原発建設中のところが沢山あり、そこの市町村、自治体はお金を沢山もらっているので止められないといった悩みの中にあります。一発何か起きると、100年、200年の単位で禍根を残します。原発を作るのにかかった何倍もの費用が核廃棄物を封じ込める為に必要です。半減期が20000年もかかる。どれだけの放射能が出ているのか全く正確に伝えられていません。ほとんど8日間で半減するようなことを言っていますが、実はもっと怖いのかもしれません。関東から国民が皆逃げ出すのではないかという恐れすらあります。何年か前に日本沈没の映画がありましたが、それは夢物語でしたが、それと同じような恐ろしい、本当かな、作り話ではないのかという気がするほど、ひどいことになっています。このあとどう展開するのか目が離せない。日本がどうなるのか、という恐ろしさに震えている感じがします。津波よりももっと大きな災害がこのあと尾を引いていくという気がしました。
・最初の頃ですが、画面に出てくる女性アナウンサーの厚化粧に違和感を持ちました。災害現場にしてはあまりにも美しすぎる。しかもヘルメットを被り、追及する気はありませんが、違和感がありました。急なことなので仕方ないのでしょうが・・・普通のCMを流すと違和感があるのでACを流すと言いましたが、ACの繰り返しの違和感、最後は嫌悪感になりましたが、今後何とかしていただきたい。良いことを言っていますが、繰り返し放送されると・・・沖ノ島で一勝一敗、思いやりの国技とありますが、これは八百長です。からかう意味はありませんが、こんな時にいかがなものかと思いました。テレビならではの力を感じたのは、原発の報道で専門家が「安全です。基準値は超えていますが、ただちに健康に被害はありません」といつも言う決まり文句のセリフですが、皆はどのように見ているかと言いますと、本当に深刻に見ており、専門家の表情を見ています。日によって違ってくる。口では安全ですと言っていますが、目は泳いでいる、安全と言わないといけないので言っているだけで、本当は違うのでは?という点を、皆、穴が開くほど真剣に見ています。テレビの力はすごいと。活字になればバイアスがかかります。「安全です」と言えば「安全」としか報道は伝わりませんが、生のテレビの中継では、その細かいところまで分かる。そういった意味でテレビの力はすごいと感じました。今回はテレビでまず知り、インターネットで確認し、あとは新聞ですが、新聞は最後です。テレビの力のすごさを感じました。原発の問題は進行中でどうなるのか分かりません。今の時点では行政、東京電力を責めるのはいつでもできますが、とにかく押さえ込まなければいけません。これからどう報道していくのか、固唾をのんで見守っています。煙が出たなど速報があるたびにテレビに釘付けになっているのが実情ですが、完璧な報道はできないと思いますが、リアルタイムで送っていただきたい。見ている人は言葉ではなく、表情を見ています。
・大事件、大事故が起きた時に、必ず何が起きたのか、なぜ起きたのか、どうすればよいのか、という3つの柱を立てて物事を考えますが、今回の場合は何が起きたのかというよりも、何が起きているのか?まだ分からない。犠牲者も分からない。数も定かではない。原発で言えば進行形です。順序立て、時系列で完結しますが、その3つが全て横で同時にずっと流れている。その意味では、今はまだ有事、非常事態だと思います。確かにCMの問題もありますし、いわゆる娯楽番組を排除し、リアルタイムでいつまでやるのかということがあるのかもしれませんが、私はまだそういう時期ではないと思っています。新聞も今日からやっと記事下広告、上から下まで全部記事ではなく、広告を入れるように、少し平常に戻りつつありますが、提示されているファクトはそれとは別にずっと続いていることなので、テレビの報道もそこのところは忘れて欲しくないと思います。今度の大災害は危機管理をしている国や行政の在り方、半官半民といわれている東京電力という企業の在り方、我々は今何が出来るのか、すべきか、国民の意識の問題、生活そのものにリンクして考えるとういう文化的なもの、全てについて問題提起されています。ここの話しを気長に、しかも深く追い続けるという意味ではテレビも新しい課題をつき付けられていると思います。総力戦でやっていただきたい。四国にいるとそうなのかなという言い方をしてしまいますが、例えば、関西辺りでは、間引き運転が始まるなど、鉄道の車両の部品が東日本から入らず、フル稼働で全部の車両を動かすことができなくなりつつある。ダイヤを7割程度におさえているといった話も出てきています。そういうことが一番ないのが四国、中国、九州ではないかと思います。コンビニに行っても何かが無い訳ではありません。ガソリンも少し高くなってはいますが、ある。それが東へ行けば行くほど直接的に自分に関わってくる。1、2ヶ月経てば、四国もそのエリアに入るので、「そろそろいいよね」と、マスコミ自体がそのような姿勢であるのはよろしくないと思っています。
・震災があってから、ずっと報道番組があり、普段はそんなに長々とテレビを見ることがないのですが、ずっとテレビの前から離れられなくなり、金曜、土曜、日曜、ずっと見ていました。そういう人が多いと思います。進行形で起こっていることがテレビに映る。テレビの特徴が非常に全面に出て、それが報道になって表れているという状況です。進行形でずっとやっているので、現場の被災の状況、東京電力の状況、そういったことが細切れで入ってくる。被災状況をやっていても、東京電力の記者会見が始まれば、それが間に入ってくる。細切れでずっと情報が入っていく。速報で入ってくる。視聴者としてはそのような見方をしています。普段はニュースでまとめられ、事実が伝えられていますが、細切れで入って来るので、視聴者側は自分の頭でまとめないといけない。どうしても次の日の朝の新聞で、全体像、政策はどうする、原発はこんな状況、被災状況はこうなっている、系統立てたものはそれで確認しています。テレビと新聞などの紙媒体との違いを非常に感じました。全体としては、視聴者に危機感を煽らないように「大丈夫です」という感じで報道していることについて、私としては、メディアの方が、非常に配慮されてやっているということで良い印象を持ちました。普段から朝日テレビ系列は報道に力を入れているテレビ局です。朝から晩までどの局もニュースをやるので、自然とその局のアナウンサーが全員出てきます。どこの局がやはり押し並べて、報道に今まで力を入れてきたのか、バランスよく男性、女性のアナウンサーを配置し、安心感を与えるカタチで視聴者にニュースを伝えられるか、その技術的な力が伝わってきました。現地に被災している子供、そういう人たちの心の問題、PTSDの話しもありましたが、早い段階で、例えば子供に対しては、親はこのように接すればその傷が大きくならないで済みますよ、そういうノウハウはこういうものがあります、といった側面からのニュースもあってもよいかなと思いました。
・被災地の人たちは電気も遮断され通ってなく、テレビは見られません。PTSDの対処方などの情報は、被災地の方は電気が通ってから初めて知る情報だと思うので、私たちがそれを知っても、一つの予防法にはなるかもしれませんが・・・被災地の人たちに、電気が通っていなくても、放送していることを何か伝える手段はないのか。これだけちゃんと報道されていますよ、大丈夫ですよ、見捨てられていませんよ、と伝える方法をメディアに開発してもらいたい。もどかしく感じる時間を過ごしています。レポーターが入り、被災地のことを伝えてくれる。そういった報道を見て、私たちは義援金で応援しよう、物資を送ろう、という気持ちが湧き上がってきて、大変なことだと分かる。ですが、メディアの人たちは、被災者ではない人たち向けに情報を提供することだけに必死になってほしくありません。メディアの方々が、例えば「ここには救援物資が来ていないエリアです」といってヘリコプターで降りて、そこに行くときに、何かその人たちは、救援物資を持っていっているのか?そのことが気になります。ある写真集の一枚の写真でハゲタカがいて、赤ちゃんがいた。今にもハゲタカが赤ちゃんを狙っているような、コンゴかどこかの写真だったと思いますが、それを撮ったカメラマンが非難された。でもその写真が全世界に報道されたからこそ、戦争に対して何とかしないといけないという動きが起こりましたが、そのカメラマンに来たのは、写真を撮るくらいなら、どうして赤ちゃんを抱いて逃げないのかという非難でした。もしかして、ジャーナリストの方たち、レポーターの方たちは何らかの救援物資を持って、孤立した避難所に降りていったのだが、そのことを言わなかっただけかもしれません。しかし、そこにいて、被災者の方たちにマイクを向ける時間があれば、救援物資を渡すために、何往復もしてくれれば、まだ自衛隊や医療関係者が行けないのであれば、もう一つの救援活動として、報道するだけではなく、何かもっと動きが取れないのか。それをしてしまうと報道ではなくなる?私の中で色々なことを考えました。メディアは、被災者ではない人に、報道するだけではない何かがもう一つあるのではないかということを強く感じました。避難場所の取材はとても大変ですがとても必要だと思います。避難場所に多くの学校がなっていて、そこで働く先生、子供達の姿を見ると涙が出ます。そういう姿を映していくという事の大切さは分かっていますが、情報を持っているメディアだからこそできることを、もう一つメディアの役割に入れていただけたらと思いました。
・11日の震災があった時にテレビをまわすと、同じようなことがどこも出ています。その日だからなのかと思っていましたが、次の日、その次の日も、同じようなことが出てくるので、「私は岩手県の人たちのことが知りたい、私は宮城県のことが知りたい、もっと詳しく知りたい」、そういうことで全体の流れはNHKに任せておき、あとは民放で何箇所かに区分し、局で県単位で担当し、もう少し詳しく、2、3日そこの県だけに集中していただけると、よく分かると思います。大まかに全体を掴むのはNHKにお願いしておき、詳しく、細かく知るためには、もっと区分的に分けて見せていただく方がよいかなという話しが出ました。何日間か経てば全体の流れもよいとは思います。非常に心を痛めた問題があります。痛んでいる人の心をもっと痛めるようなインタビューをしている場合があります。いい加減にしてほしい。インタビューをするレポーターの人も、限度を、心の問題を勉強してもらいたいと思いました。原発のことはあまり分からないので、昨日東京にいて、割と分かっている人に説明してもらいました。全部止めると、そこから出ている電気を補う為には、どこから電気を持ってくればよいのか?仕方ないので、学校も電気が来ないという話しになり、4月から開校しても、うまく単位が取れるのかどうか分からないという人も出てきました。今まで本当に不勉強で、今までやってきたことは、ありがたいのか、ありがたくないのか、私の人生にとって、のほほんと生活をさせてもらったことには感謝しないといけないのかと思ったりもしています。もう一回勉強をしなおさないといけないのかなと思い、非常に心を痛めています。実際に出演している先生は、原発を作った方に力を出した人のようですが、それもあり、目が泳いでいるのかと思いました。もう少し詳しく、色々なことを知らせてくれる方が出てきて欲しいと思います。恐ろしい時代がくるのではと、心を痛めています。原発の恐ろしい部分を教えてもらいたいと思います。
・他人事と思えない。妹から「息子は大丈夫」と電話がありました。何が起こったのかと思いました。「テレビつけて」と言われ、すぐテレビをつけると、すごい状況でした。「今、飛行機を取り、広島に帰るから」と。一日違っていたら、甥が震災に巻き込まれていた。卒業旅行で東北の太平洋側を行くということでした。その時は北海道に渡っており、前日が青森の方へ行っていました。テレビを見ていると、津波に人が飲み込まれる映像があり、それをずっと見ていると、声が出なくなりました。いかなる時でも声は出ます。それが見事に出なくなりました。どうすればよいのかと思っていると、パニック状態になり、とにかく何をすればよいのか?テレビを見ないことだと思いました。数日経った時に、高松の方からメールが来ました。「姉が被災しました。体調は壊していますが、元気でいます。高松から行ってよかったと思います」という内容でした。何とも言えない、やるせない状況で、人生こういったこともあるのだなと思いながら毎日過ごしていました。最近はずっとテレビを見ていますが、何が気になるのかというと、「私は38歳の時に子宮頸がんになりました、そうならない為に検査をしています」というCMが沢山流れます。あれを見た時に、今はそれどころではない。毎日の生活のこと。「優しさを持ちましょう、心配りをしましょう」といった内容も流れています。色々なCMが流れていますが、「がん検診をしましょう」は個人的に止めてほしいです。それどころではないと思います。検診は大切なことですが、個人としてはそぐわないと思います。報道されるときに画用紙に「○○にいます。名前」というのは良いと思います。にちにち新聞が記事を書き配られていましたが、現地の人の為になっている。朝日テレビのアナウンサーが順番に現地に行かれています。すごく励みになると思います。画面に露出している人たちが「頑張ってください」と声を掛けると、「こんな人たちが、私たちを励ましに来てくれる」、画面に登場している人は、一般人にとってはすごく嬉しく、エネルギーに繋がるということがあると思います。すごく良いと画面を通して思いました。
・見ていて「エーシー」という音声が途中で消えたのは、ネットなどからのコメントだと思います。「非常に聞き辛い」と。ただ、BS、CSでは一部流れていました。CSのショッピングサイトなど自粛モードになっていますが、大事なのは、今後どうなっていくのかまだ分からない。ここでこそ報道の真価が問われるところがあると思います。一度、震災として片付け、報道として区切りをつけてしまうのではなく、今後のことをどのように報道していくか。番審としても支援をしたいような気持ちがするくらいです。人的災害とも思える部分があるというご意見も出てきましたが、それはさらに報道としてどこまで追及、真実を国民に伝えるか。ネットでは色々極端な意見もでてしまっているので、私たちも、実はテレビを見ながら、ネットを見て、自分の頭の仲に入っている情報が、ネットから得たのか、テレビから得たのか、あるいは新聞から得たのか分からず、新聞も記事を速報で配信しているので、それで読んだものと、それがツイッターなどで増幅されているものと、色々な情報が頭の中で混乱してします。その中でどのようにまとめていくのか、報道の使命として、これから日本が大変になるので、それをきちんと自分を見失わない、地域として、四国なら四国の地域としてこれから何が出来るのかということを、自分の頭で判断できるような材料を流していただきたいと思っています。日本の経済は今年度下がるのは間違いありませんので、ここから先のことを考えて、私も関東に子孫がいるので、支援をしなければいけないと思っています。大震災以降の流れについて、みんなをあまり混乱させないように、逆に心配させないように、不安を解けるような材料があれば、どんどん流していただきたいと思います。
・本当にすごいことになりましたね。ニュースを見て、現実と思えないものばかりでした。 震災報道に絡み、放送自粛について少し考えてしまいました。被災された皆さんにお見舞いの気持ちを込めたうえで、CM無しの報道がずっと続き、CMが入ったかと思えばACのCMばかりで、CM最後の女性の「AC」という声を聞くと津波の映像と重なり、胸が苦しくなるという人。いま自分に何ができるだろうと考えていると、何も思いつかず罪悪感にさいなまれるという人。被災していない私たちが滅入っていては、被災された皆さんを勇気づけられないと思うのです。前に向いて進めないと思うのです。 先日、津波の夢を見ました。そんな夢を見た自分に驚きました。気付かないうちに脳裏に強く焼き付いているのだと思います。被災地から遠く離れた所に暮らす私たちでも、連日の報道の映像が深く焼きつけられています。被災地の子供たちはどうでしょう。映像が子どもたちの心に与える影響も大きいと聞きます。とても心配です。16日朝、暴れん坊将軍を放送しているのを見て、正直ちょっとホッとしました。自粛のみが、災害報道のみが、メディアの役目ではないとつくづく思いました。 被災地の方が望んでいる情報、私たちができうることのための情報。いろんな状況のいろんな視聴者の視点に立ってください。右へならえの放送だけでは、困ります。