放送番組審議会

2006年02月27日(月)

第110回 放送番組審議会議事録

開催日時:平成18年2月27日(水) 午後3時
課題番組:「ラブちぇん」


1. 開催日時:平成18年2月27日(水) 午後3時
2. 課題番組:「ラブちぇん」
          毎週土曜日 12時55分~13時50分(55分)放送
3. 記事の概要:
・この番組は、一体どのような展開になるのかということで、期待しながら見た。ところが、ちょっとはぐらかされた。というのは、夫婦交換という過激な設定が、都会vs田舎というような構図にすりかえられている。それは、健全なことであって良いことだが、視聴者としては、やはり夫婦交換、「ラブちぇん」というのは、その言い換えなのだと思うが、もっとそこを見たかったという気がする。しかし、あれが限界だったのかも知れないという気もする。番組倫理とエンターテインメント性というのは、言わばシーソーのような関係にあるのだと思うが、そのギリギリの危うきに遊ぶというところで知恵を絞っている番組ということになると思う。話がどうなっていくのかという展開はとても楽しませていただいたし、うまく作ってあるなと思った。また、この番組は名古屋テレビの制作だが、地方で企画、発案したというところには関心を持った。非常にバイタリティのある番組で、20年程前に、ラブホテルから突撃生中継という番組があったが、それは過激だったのですが、しかし、それが非難の的になるということはなかった。この番組に苦情が来ないというのも、そういうものを楽しむ時代になっているのではないか。見たいもの、覗きたいものを如何に見せるかというのがエンターテインメントだと思うが、これが番組の発端における意図としてあったのではないかと思う。私として、実際にそれを見て、その部分はどうだったかというと、都会vs田舎の構図ということで、逃げられてしまったかなという気がする。しかし、全部楽しんで最後まで見ることが出来たので、造りは巧いのではないかという気がした。およそ番組というのは、ためになる番組ばかりが良いというわけではなくて、ライブで共感できる番組というのも娯楽番組としては良い。この番組はビデオで構成されているのですが、生中継風の仕立てになっていて、それが楽しめた原因ではないかと思います。2月11日の放送分を見ましても、登場する人物が極めて健全である。こういう番組に不相応なぐらい健全な人たちが出ている。そのあたりが、この番組が認められている一つの原因ではないかと思う。全体として、強く非を唱えるようなところはない。批判して欲しいということだったたが、これはこれでいいのではないか。そういう時代なのではないか。私などは若干ついていけない部分がないわけではないが、そういう時代になっている。そういうことを楽しむ、皆が普通は伏せておきたいようなことでも、大っぴらにして楽しむ時代になっている。そういうことではないかと思う。
・「夫婦交換」ということなので、所謂低俗な番組ではないかという意味で期待して見たが、結局、見た結果として非常に良い番組ではないかと思った。かえって、なまじ良識ぶった番組よりも良いのではないか。2月11日の放送分などは、むしろ健全な爽やかな感じを受けた。また、これは意図していることなのかどうか分からないが、番組は必ず田舎妻と都会妻の交換になっているが、田舎の生活の良さというのが画面を通じてよく出ている。今、農村にお嫁さんが来ないので、みんな困っているのだが、都会に出ることだけが幸福になる条件ではない、田舎には田舎の幸せがあるということが分かる。予期に反して良い番組だった。
・私は、この時間帯にテレビを見るときには、裏番組の吉本新喜劇を見る。視聴率の資料を見ると概ね裏番組の吉本新喜劇の方が視聴率が高いようなのでほっとした。ラブちぇんに抜かれるようなことにでもなれば、これは大変なことだと思っている。この番組は、eatだけが昼間に放送していて、他局のほとんどは深夜の放送となっている。eatの視聴者は昼間だから、まあこの程度のところで落ち着くだろうということになると思うが、逆に深夜帯で見ている視聴者は、もっと過激な期待を抱いて見るのではないかと思うので、この内容では不満が残るのではないかと思う。「我が家のルール」にしても、わざわざ興味をそそるような表現のものにしているが、実際に見てみると「なんじゃこら」ということになる。深夜帯に見ている人の本音は、おそらくそんなものではないか。昼間見ている人は、あれ以上過激になるとまずいので、あの程度でちょうどいいかも知れない。また、全体にわざとらしいなと思われる点がある。例えば、2月11日の放送分についていえば、元キャバクラ嬢と自給自足の女性があんなに上手くマッチングするのかとか、「やらせ」とまではいわないが、かなりわざとらしい印象がぬぐえない。また、自給自足で自家栽培をしているご主人が、自家栽培をしているにもかかわらず、ししとうを見つけて「意外なものがあった」という。自分が栽培しているのはずなのに、と思った。なんとなくわざとらしさがある。まあ、昼間だと、せいぜい馬乗りになって、腰をマッサージするぐらいまでだが、深夜帯に見ている人は、あの後どうなるのかを期待して見るのだろうし、そういう意味では、なんだか中途半端な番組のような気がした。
・男としては、やはり期待はずれの感は残る。外国では、スワッピングというとセックスを伴ったものである。そこまで含んだ概念だ。この番組だと、なんだか女中さんを交換しているような感じだ。
・この番組には、とてもついていけないというのが第一印象だ。ちょうど、先日、食育については、生まれ年にして、昭和34~35年ごろを境にして、理解が全然違うというような話を聞いたばかりだが、その直後にこのような番組を見ると、最近の若い人の考え方には理解不能という感じをますます強くした。番組として採り上げたときに、若い人は手をたたいて喜ぶかも知れないが、私などは、こういう番組を見たら、今の若者は変な方向に走るのではないか、こんな番組は無いほうが良いのではないか、などと思いながら見た。2月4日と11日との二回分を見たが、それでも11日放送分の方はまだなんとか頂ける感じがした。思ったのは、あの元キャバクラ嬢の女性は、やはり職業柄か、男性の扱いが非常に上手いのではないかと感じた。ここから学べることがたくさんあるのではないか。男性に対して、女性がどう接すれば、上手くやっていけるか。心理的な面で非常に上手に押さえていると思う。その辺りは見所かなと思った。作り方次第では、そういう心の問題に重きをおいていくようなやり方もできるのではないかと思う。
・見るのに非常に気が重い番組だった。まず、抵抗があるのが「夫婦交換」という言葉で、それが既に大きな壁になってしまい、一体どんな内容なのか、しかも、元々深夜番組らしいということで、ずっと見ることが出来なかった。この番組を放送している全ての局が深夜に放送しているわけではないようだが、深夜帯に放送するということでいくのであれば、2月4日の路線で進むほうが、皆さん満足されるのではないかと思うが、やはり 2月4日のような内容だと、昼間、子供が居る時間帯には見ることは出来ない。2月11日放送分の程度のものだったとしても、子供からすると、夫婦を交換するということの意義が理解できない。相手を一時的に変えてみることで、お互いの良さを再認識して、また元の夫婦に戻っていくというのが、番組の意図する筋書きだとは思うが、それは、子供には理解ができない。家族のルールというのも、冗談としては通じない。やはり、子供が居るときには見ることができない番組だ。今の風潮として、何でもリセットしたり、壊れたものを取り替えたりすれば済むというような発想に陥りがちだということが言われているが、この番組にしても、終わったあと、その結末をはっきりさせたらどうかと思う。交換したあと登場するのは、妻だけで、「ご主人変わりましたか」と聞かれて「変わりました」と答えるだけでは解決にならない。伝わりきらない。終わったあとの夫婦の会話とか、ご主人の率直なコメントも欲しいものだと思う。結局は、となりの芝生は青いというか、普通に暮らしていたら他人の家庭は良く見えるものだということを物語っている番組なのではないかと思う。ゲストと遠藤さんと友近さんの遣り取りも、もっとちゃらんぽらんかなと思っていたが、結構、まともなことを言っていて、そこそこ上手くやっているなと思った。
・22歳の夫のところに、30歳の妻が交換でやってきたら、「どうして、こんなおばさんがうちに来るのか」と思わないだろうかと思うと、夫も交換でやってきた妻も可哀想な気がした。
・夫婦交換の間、子供はどうしていたのか。また、田舎に行った元キャバクラ嬢に、田舎の子供が随分なついていたが、いきなりあそこまでなつくというのは不自然だと思う。
・この番組を見ていて感じたのは、男の方がぎこちない。男が丁寧語を遣っている。だいたい男は初対面の人に対して恥ずかしがるところがある。女性の方が順応性があるというか、適応力に富んでいるというか、介護などでも、女性の方が、初めての人に対しても上手に接していく。歳をとると特にそうなるだが、男性は、初対面の女性にどう接したらいいのか分からなくて、ぎこちない。ちょっと見ておれないような感じがある。このあたりは、果たして制作した側は狙っていたかどうか。
・まず、思わせぶりな番組であるということ。過激な予期しないことが起こりそうに思わせておいて、結局は当たり前の結論に導いていくという手法だ。最初に、感想だけ簡潔に述べると、要は、二組の夫婦の夫々のパートナーの本音と反省を引き出すというのが番組の意図なのではないかということが一つ。また、この番組に登場してくる男性が、ぎこちないというのもあるが、私が日常接している普通の男性に比べると、なんだか演技トレーニングを積んだ人のように感じてしまう。これは、出演者の選抜の仕方に、何か細工があるのではないかという感じを持った。また、先ほどの意見にもあったが、例えば子供には、夫婦を交換することによって何が見えてくるのかということを理解することは、やはり難しい。だから、バラエティ番組と言い切ることは苦しい。そういう点が感想としてある。2月4日放送分についていえば、古くから続いている番組としては「新婚さんいらっしゃい」などでも、かなりあけすけな話をしているし、最近では「キスだけじゃいや」とか、別れそうになっている恋人同士の悩みを聞く番組とか、結局、悩みなどをシェアするというか、あまり深刻に考え込まないで、もっとみんなであけすけに語り合ってみようよ、といった風潮というのが、今の時代性なのだなということが伝わってくる。ただ、そうなると、現実とテレビの中の世界との境界線が薄くなってきて、テレビの魅力がだんだん薄くなってくるのではないかという気がする。やはり、ロマンチックな要素とか、現実では見られないような夢とか優しさとか、現実としてはありえないのだけれど、あってほしいことというものがある。もし、この番組を俳優がやっていたら、ドラマになると思うが、これを素人がやってしまうことによって、生々しさは出たし、それを狙っていたのかもしれないけれども、実も蓋もなくなってしまって、例えば、これを見て結婚したくなくなる女性が、また増えてしまうのではないかというような心配だってありうる。テレビが持つ仮想空間のようなものが、素人を安易に出すことによって失われ、面白みがどんどんなくなってきている、そういう気がする。小説、演劇、ダンス、歌などは、みんなそうだと思うが、人は誰しも、別人の人生を歩んだらどんなだろうと思うことがある。それは年齢には関係がないと思う。そして、小説を書いたり、役を演じたりする人は、そういう疑似体験をしていて、その面白さというのを体験しているし、それを読んだり、見たりして疑似体験を共有する、そういう空想力というのは人間にとっては大切なことではないかと思う。この番組についていえば、そういう空想力を萎えさせる。やるのならドラマでやってほしい。夫婦交換をテーマにして、ちゃんとした俳優が演じるドラマ、それには、あっけらかんとしたケースもあれば、シリアスなケースもあると思うが、そういうバリエーションのあるドラマを何本も作る。それが本来のテレビのあり方ではないか。それを素人にやらせてしまうというのは、とても安直な選択ではないかと思う。
・この番組は、今回、課題番組になって初めて見た。2月4日放送分の録画を見始めたときには、かなり際どい会話が続いていて、ピー音で被せている部分もあったし、これはどうしたものかと思いながら見ていたが、最終的にはそうでもない。その辺りは、先ほどからお話のあったような「期待感」を持って見ていたが、結果的には、意外と健全な番組ではないかという感じがした。この番組のテーマは、夫婦交換を通じて、夫婦のあり方、それぞれの良い所、悪い所をお互いに認識すれば、そのことによって夫婦の永続きのコツが分かってくるのではないかというところにあるという感じがした。昼間の番組としてどうかと思うのは、ファミリールールの表現が非常に際どく、大人であれば機微が分かるが、子供からすると「なぜ、ここで笑うのか」ということになって、子供と一緒に見ていたら、説明に窮して気まずくなるなと思われる場面は何箇所かあった。しかし、夫婦ということだけではなくて、その背後には、都会の生活と田舎の生活のそれぞれの便利さ、不便さ、そして、それと引き換えに得られているものとは何か、考えさせられる。それらのどれを選ぶかというのは価値観の問題だが、極端に二極分化した生活の両方を比較することで、いろいろと見えてくるものがある。この番組の趣旨としては、夫婦交換ということを表向きに大きく掲げて、そこで注目を集めさせながら、実は、人間の本質、夫婦の本質というものについて考えさせたいのではないかと善解してみたりもした。
・最後のオチは非常に道徳的というか、結局、元の夫婦の良さに気づく、そういうまとめ方をしている。ただ、やはりどうも題名が羊頭狗肉だ。いわゆる「夫婦交換」という概念には、本質的にセックスが伴っている。だから、それがないというのは出発点として不自然だ。むしろ、昔から夫婦については、夫婦善哉をはじめ、いろいろなものがあるから、もっと今現在ある夫婦の姿を元にして、そこで話を聞くというほうが素直ではないかという気がする。何もこんな回りくどい、不自然なことをプロットとして提示する必要はないと思う。もう一つは、先ほどの指摘にもあったが、これは一種の覗き趣味である。ただ、覗き趣味なら、それなりのやり方があるのではないかという気がする。また、我々男性としては、「非常に際どい」と事務局から聞かされていたが、その割には、大したことがない。昔、若い頃、11PMという番組があって、私は勉強の合間に、楽しみにして見ていた。男性としては、女性がなるべく裸に近い、しかも、なるべく美しい人、覗き趣味ということならそれだけでいいものだ。そういう意味では、そもそも、男性の方が、女性よりも浮気であるわけだが、これは動物としての自然なあり方で、男性はたくさん子孫を増やす必要があるので、絶えず目移りするように仕組まれている。女性は子供を育てていかなくてはならないので、女性は夫婦の中に必ず愛を求めるというか、自分の好きな人とでないと夫婦にはなれないものだ。もちろん家庭は大切だが、一生の間にどうしても目移りすることは仕方がない。ただ、それはそれで、夫婦の中に収める努力は大切なものだ。また、言葉の問題ですが、エッチという言葉は、辞書を調べると変態」というのはありますが、「セックス」という意味はない。こういう言葉を遣うこと自体、私はおかしいと思う。やはり、セックスはセックスとして、まともな表現をしないと日本語を乱すことにもなるし、そもそも性生活というのは健全なものであり、健康にもいいはずのものだ。セックスに興味がある人は大体長生きするし、先日の新聞には、男女問わずセックスをしない人、パートナーの居ない人は「がん」にかかりやすいとかいう報告も掲載されていた。セックスは恥ずかしいもの、穢れたものと捉えるべきではなく、真正面から捉えるべきものだ。エッチという言葉には、何かゆがんだものを感じる。他方、もし、性的エンターテインメントという趣旨のアダルト番組なら、もっとはっきりとそういう線でいくべきではないか、やや、ひねりすぎている感じがする。