放送番組審議会

2007年02月26日(月)

第120回 放送番組審議会議事録

開催日時:平成19年2月26日(月) 午後3時
課題番組:「国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉」


1. 開催日時:平成19年2月26日(月) 午後3時
2. 課題番組:「国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉」
          毎週水曜日 23時15分~24時10分(55分)放送
3. 記事の概要:
・私は、今回の審議会の課題番組になったことによって、この番組を初めて見ることになった。しかし、事務局の資料によると、もう2年近く放送している番組のようだ。ただ、もともとこの手の番組は好きではないので、かなり構えながら見た。事務局の録画した回は、片岡鶴太郎さんがゲストだったが、鶴太郎さんの話はとても面白い一方で、三輪明宏さんと江原啓之さんは何となく不気味だなと感じた。どうやら視聴率も好調らしく、4 月からはGHに進出するように聞いている。
・この番組は以前からしばしば見ていた。ただ、常に心中に疑問の念を抱きながら見ていた。番組の分類としては芸能番組ということになるのであろうが、出演者の話の中には教養になる話も少なくない。番組の成り立ちとしては、三輪さんと江原さんは非常に話し方が巧みであり、これに国分太一を加えた3人のチームワークがよく取れている。制作者は、この3人に救われていると思う。話術は巧みで、少し曖昧であるはずのことを敢えて断定したりする。また、譬えが巧く、非常にわかりやすい譬え方をするので、説得力を感じる。また、会話自体のテンポが良く、聞いて楽しい内容になっている。ただ、教養番組として成り立たせるのなら、三輪さんと江原さんに反論する人を立てなければならないであろう。その部分が、曖昧なので、十分な説得力につながらない。見ている間は納得させられた気になるのが、その場を離れると疑問がわく。今の程度の規模の仕掛けであれば、まあ黙認される範囲内だと思うが、大仕掛けになってくると、問題がある。「いや、あれは芸能番組なんですよ」といって済まされないことになる。テレビは人を楽しませるものなのだ、という立場に立てばいい番組ということになるのかもしれない。ただ、私個人としては、三輪さんや江原さんには胡散臭さを感じる。そういう疑問はあるが、楽しい番組ではあると思う。
・前世とか「あの世」とかいうものは、科学的にはあるとはいえないものだが、ないと断定することも出来ない世界だ。そういう、肯定は出来ないが、否定もできない分野を扱って、芸能人を使って、しかも、個々の話にはためになるところもあるという番組になっている。今、テレビ番組全般について世論の見方がこれだけ厳しいことを考えると、よくドラマなどのあとに「この物語はフィクションであり…」というような文字の書かれた静止画が出てくるが、この番組の後では「この番組で扱っている内容については科学的根拠のないものがあり…」というような断り書きを出すべきかもしれない。今後、GHに進出してくるとなると、盲信するような人が出ないとも限らない。あくまでも、そういう分野の話を娯楽として取り上げているのだということ、そういう楽しみ方をしなければならないことを断っておく必要があると思う。要は、こういう番組は、否定も肯定もできないということだけである。論語にあるとおり、鬼神を敬して之を遠ざく、智と謂うべし。つまり、神とか霊とかいうものは大切にするが、遠ざかっている、それが賢明である(「鬼神而遠之可謂知矣(論語雍也より)」)ということだと思う。最終的には、見る人それぞれの心の問題だろう。
・この番組はたいてい布団の中から見ていて、最後まで眼が開いていることはほとんどなく、途中で眠ってしまう。このため、一番の見所のはずの、最後のスピリチュアルトークのコーナーを見られることが少なく、もったいないといえば、もったいないなと思っている。司会の国分さんは、アイドルグループの一人なのですが、出すぎず、飾りすぎず、好感が持てます。また、三輪さんや江原さんの話をよく聴いて、信じていて、非常によく勉強し、吸収しているように思う。番組の内容は、ゲスト次第で決まるところがあり、個人差が非常に大きいと思う。また、ちょっとしたエピソードが自分の感性に響くと、つぼにはまるというか、非常に感情的にも説得力を感じてしまう。そもそも前世の話などを信じるかどうかは、その人次第なので、視聴者としては話半分にして聴くというか、楽しむというのがこの番組の正しい見方だと思う。日常生活で自分に応用できるような話をうまく拾って活かしていくといいと思う。就寝前にうってつけの内容と放送時間だったのだが、GHに移るのなら、キャストや内容、セットなどを一切手をつけずに移して欲しいものだ。また、裏での打ち合わせがどの程度のものなのか、いつも気になっている。「あなたは…ですね」といっているのが、打ち合わせ済みの発言なのか、本当に見抜いて言っているのか。いろいろ放送番組が物議を醸しているご時世なので、余計に気になる。
・まず、どうしてGHに移すのか。この番組は、大人なら批判する能力があるし、どの程度の捉え方をすればいいのか解るが、高校生や中学生、あるいはもっと年端のいかない子供が見るということになると、どうなるのか心配だ。批判的に見ることが出来るのか。盲信したりしないのか。私は、この番組はGHに持ってきて欲しくない番組、持ってきてはならない番組の一つだと思う。私は、この時間帯にテレビを見ることが多いので、この番組を見ることも少なくないが、見るかどうかはゲスト次第で、感情的なリアクションの大きい人のときは見ない。また、江原さんの言動が限度を超えて胡散臭くなったら見るのを止めている。そういうガイドラインのようなものを自分で設けている。前世とか守護霊といったものについて語るのもいいと思います、たとえ証明できないものであっても、それが生きる役に立ち、力になるのなら。ただ、このような番組の役割というものは、そこで留まるべきであって、イマジネーションを膨らませるのは結構だが、人心を惑わせるようなことになってはならない。今後、GHに進出してから、視聴率稼ぎに走らず、そういう成熟した番組作りができるのかどうか。テレビ朝日は手腕を問われることになると思う。
・視聴者の鑑賞力、鑑別力が問われる番組だ。テレビ番組を見ていて、自分を制御することを、これほど意識したことはない。一言で言えば、胡散臭い番組だ。「あなたの心に愛とパワーを」というキャッチフレーズもそうだ。ただ、三輪さんと江原さんがゲストからいろいろなコメント、人生の機微を引き出してくる努力は多としてよい。そして、出演者たちの真剣さがこの番組を成り立たせている。ある人が真剣に取り組んでいることについて、真面目に取り組むということの大切さがよく解る。三輪さんや江原さんは、ゲストの人生の変化を描き出すガイド役だと思う。したがって、他局の占い師の番組などもそうだが、番組の良し悪しのほとんどは、ゲストで決まると思う。ともあれ、テレビ番組は自由な発想で制作されることが大切であり、いろいろな番組があっていいのだということになるのかもしれない。
・私は最近、帰宅するのが遅くなることが多く、帰宅してテレビのスイッチを入れると、この番組になっていることがしばしばある。占いなどとは少し違うと思うのは、占いなどは統計に基づいているが、この番組の場合は三輪さんや江原さんの直感に基づいている。こういう番組の視聴率が伸びているということは、そういう寂しい人、優しさを求めている人が世の中に増えているということだと思う。この番組のウェブサイトを見ると、「現在、江原啓之さんは個人のカウンセリングを行っておらず、番組宛に送られたお手紙をご本人にお渡しすることはできません。美輪さん、江原さんの連絡先をお教えすることもできません」とあるが、それだけ救いを求めている人は多いのだと思う。いずれにせよ、この番組は危ない橋を渡っているようなところがある。「あなたは前世で…」というような考え方が広まると、悪い意味での宗教のようになりはしないか。GHで放送となると、子供も見るので、子供たちが「あの世」の存在を信じたり、死を美化したりしないか心配になる。私自身、霊的な感性があり、深い考えもなく言ったことが、その人の将来に実現したりするので、霊とか霊界というものは確かに存在するとは思うが、この番組の三輪さん、江原さんの言っていることについては、単なる予備知識に基づくものも多いのではないかと思う。三輪さんの声、スタジオセット、BGM、江原さんの説得力が混然一体となり、この番組を作り出している。GHに移って危ない方向に走らないことを祈る。
・こういう番組は、賛否の評価が分かれる。また、見ている人自身の経験や蓄積によって意味が変わってくる。胡散臭さが逆に視聴率に結びついているというところがあるように思われるし、やや覗き見趣味的なところもある。そういう意味では、国分さんは緩衝材として作用していて、彼のおかげで過度に怪しい雰囲気にならずに済んでいると思う。これからGHに進出してからの不安要素も大いにある。しかし、GHでそういう方向に向かうと、今騒がれているような番組とは、また全く違う意味で社会問題になるように思う。